■判断するということ
ゴール前でシュートチャンスを迎えたときに、そこで打っても、横にパスをしても、実際にはどっちでもいいんですよ。それが判断するということですから。横にパスを出してシュートを綺麗に決めるのも日本の美学かもしれない。ただ、そこで子どもの頭に「シュートを外したらどうしよう……」というような消極的な心理がよぎるようではスマート過ぎると思う。ぼくは小学生のころは家庭の事情でフランス式の教育だったからそんなことはなかった。「パスを出せ!」と声がかかっても「うるせえ!」と言い返してシュートを打つのが当たり前。
海外の場合、フリーの味方がいるのにパスを出さないシーンが多くて、それはそれで少々ひどいと思います。正直、ぼくも嫌になることがあった。でも、そういう感覚はわかる。うちは親父はフランス人の音楽家で、周りの意見なんて聞かない傍若無人な人間でした。一方、母親は日本人で石橋を叩いて渡るような人だった。だから、ぼくはどっちの感覚もわかるんですよ。ただ、最高のシュートチャンスのときにゴールを奪えなかったこと、得点を決められるチャンスでシュートを打つ機会を自ら放棄したこと、それをもったいないと思える感覚をもつことは大事だと、ぼくは思います。
■親はアドバイザーとして寄り添う
なんにせよ、まず子どもの意志があって、そこに親はアドバイザーとして寄り添うスタンスがいいのではないでしょうか。「なんでシュートを打たないんだ!」ではなくて、自分でシュートを打ちたいと自然に思える子どもに育てることが重要なんじゃないかなと。ぼくは自分の長男(勇樹)に「なにがやりたいのかわからないなら、全部やってみろ」と問いかけながら、ずっと育ててきました。サッカーはぼくの存在が邪魔になると思ってあまり薦めなかった。じつは、野球を薦めていました。ぼく自身も知らない世界のことだから勉強できていいと考えてのことでしたが、なんだかんだで息子はサッカーの世界に入ってきてしまった。「めちゃくちゃおもしろい」と言うんです。高校や大学の進路を決めるときも自分の目で、そこのサッカーの環境を確かめながらひとりで決めてきました。闘莉王選手の出身校として知られる渋谷幕張高校がいいと本人が言うから、ぼくは「千葉県には強豪の流経や市船もあるから、なかなか全国に行けないよ?」と言っても「悩んでいるのは親父だけだ。おれはもう決まってるんだ」という感じで聞く耳を持ちませんでした。結果、選手権には出られなかったし苦労するんだけど、本人はイキイキしている。
プロになってからケガもあり松本山雅を出されてしまってからは、タイまでチームを探しに行きました。向こうでいろいろと試行錯誤して、一つだけ契約してくれるところを探し当てたみたいで。「タイで十分に食えるくらいなら稼げるよ」と言ってきたんで「ああ、それならいいじゃん」と。この前日本に帰ってきたときには、兄弟にご飯食べさせて、またタイに帰っていきました。
タイにいる日本人の選抜チームと現地のU23代表が戦う場があって、そこでもプレーできたそうです。それを目を輝かせながら話している。ぼくは、これがパワーだと思うんです。子どもの好きにさせればいいんですよ。当然こっちも人生経験はあるから、ときどき心配になって「どうするんだ?」と問いかけることはあるけど、そのくらいでちょうどいい。
本人が「これが好きだ」「どうしてもうまくなりたいんだ」と、いてもたってもいられなくなるような熱い感情が、まずベースにあること。人の話を聞いても聞いていないような感じで突っ走ってしまう、そういう強さをもつことが大事なのではないでしょうか。
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宮澤ミシェル
現役引退後、サッカー解説を中心に情報番組やラジオ番組など幅広く活躍。1998年「フランス・ワールドカップ」をはじめ、その後の「日韓・ドイツ・南アフリカ」と4大会を現地におもむき、実況解説。Jリーグをはじめ国際大会、スペインリーグ等・NHK・WOWOWにて世界を視野に入れた解説を行っている。また全国の子どもから学生を対象にしたサッカー指導も行っている。2010年からは千葉県・浦安市教育委員としても活動中。
[経歴]
1986年 フジタ工業(株)入社
1987年 フジタサッカークラブ(現:ベルマーレ)プロ契約
1989年 天皇杯サッカー選手権準優勝
1992年 ジェフユナイテッド市原に移籍
1993年 日本国籍取得「アジア大会日本代表候補に選出」
1994年 トーラスレコードよりCD発売
マガジンハウスより「宮澤ミシェルストーリーJリーグ帰化物語」発売
1995年 BayFM 「千葉ダービーマッチ」パーソナリティ
1996年 現役引退
1997年 帝京高校サッカー部コーチ就任(全国高校選手権 準優勝に導く)
2003年~2007年 PUMAサッカーアカデミー・チーフコーチ
2010年~千葉県・浦安市教育委員としても活動
取材・文 杜乃伍真 写真 田丸由美子