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インタビュー

『試合に出られなくても腐らないことが大事』酒井 宏樹(柏レイソル)

公開:2011年11月 3日 更新:2023年6月30日

キーワード:Jリーグレイソル五輪日本代表

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現在、U-22日本代表としてロンドン五輪を目指す酒井 宏樹選手(柏レイソル)。彼の少年時代からプロに至るまでのエピソードや今後の目標、子どもたちへのメッセージなどインタビューを2回に渡ってお届けします。10月にはA代表にも初招集され大きな注目を浴びている酒井選手ですが、その中でもしっかりと自分を見つめ将来を見据えている姿が印象的でした。
 

■1年目はいつも試合に出られなかった

――酒井選手がサッカーを始めたのは何歳からですか?
 
「7歳と5歳離れた二人の兄の影響もあって、物心のついた6歳頃には始めていましたね。クラブチームに入ったのは小学3年生の時です。その頃はまさか、自分が将来職業にするなんてまったく考えていませんでした。小学校時代はただ楽しかったという記憶しかありませんね」
 
――中学で柏レイソルのジュニアユースに入ろうと思ったのは?
 
「小6の時に一度練習に参加したことがあったんですが、それから練習生として呼ばれて(練習に)行くようになったんです。それがなかったら、レイソルには行ってなかったかもしれません。強いクラブチームは他にもたくさんありましたから。しかも、当時、レイソルのジュニアユースは強すぎて、あまり現実味がなかったというか……。それまでずっと楽しくサッカーを続けてきたので、そんなに強いチームに入ったら、“楽しさ”という部分がなくなってしまうんじゃないかなっていう不安も少し感じていましたね」
 
――実際にジュニアユースに入っていかがでしたか?
 
「最初はまさに転校生とか、新学期で新しいクラスの友達と会うような気分。緊張しましたね(笑)。また、それまではFWでプレーしていたんですが、中学に入って気づいたら右サイドハーフをやるように。FW時代もよくサイドに張っていたので、そういうプレーを見て、指導者の方が僕をサイドで使ったんだと思います。ただ、当時(中1)はあまり体も大きくなかったですし、僕よりも足の速い人はたくさんいたので全く試合に出られませんでした。僕はいつも“1年目”があまりよくないんですよね。中1の時もそうだし、その後もユース1年目、プロ1年目も試合に出場することができない。だからこそ、そこでいかに腐らずにいるかということが大事だと考えていました」
 
――ジュニアユース時代に試練がおとずれたことはありましたか?
 
「やっぱり試合でも練習でも、うまくいかないときはいろいろ考えましたね。なかなか立ち直れないタイプだったので、難しかったです(笑)。そういう時は、時間の流れに任せていました」
 
――その後、ユースに昇格するわけですが、プロを意識し始めるようになったのは?
 
「ジュニアユース時代も全く考えていなかったわけじゃないけれど、そこまでプロになることは意識していませんでした。『俺、ユースに上がれるのかな?』というくらいで。プロを意識し始めたのは、やはりユースになってからですね」
 
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■自分が試合に出れば、違う選手が出られなくなる

――現在プレーしているサイドバックのポジションになったのはいつからですか?
 
「中学3年の頃です。中2からユースの計5年間、吉田達磨監督(現:柏レイソル強化部長)同じ監督が指導してくれたのですが、その間はずっとサイドバックでしたね」
 
――最初にサイドバックにコンバートされたときの気持ちは?
 
「最初はFWをやっていたので、『ここまでポジションが下がって大丈夫か』と思いましたよ。でも、当時は前めのポジションにタレントが揃っていましたし、ポジションがどうこうという以前に、とにかく試合に出られなければうまくならないと思った。だから、次の日からは違和感なく、サイドバックで普通にプレーしていましたね。あと、自分がサイドバックのポジションでプレーすることによって、(試合に)出られない選手も出てくるわけじゃないですか。監督はよくそういう選手たちの分までしっかりとプレーするようにと話していました」
 
――しかし、実際ポジションが下がることで、求められる仕事も異なってくると思います。そのあたりで戸惑ったことはありました?
 
「そうですね、やはり守備がメインになるので、そのあたりは最初は全然わからなかったですね。めちゃくちゃでした(笑)。たとえば、1対1なら僕と相手との勝負なので、自分が練習すればできるようになるけど、4人で守るというのは実際に試合で突き詰めていくしかない。だからとにかく試合数をこなすしかない。本当に“慣れ”でした。ユースの頃は多少は(ジュニアユースの頃に比べると)ましになったとは思うけど、まだまだ守備は全然足りていないという感じでしたね」
 
――酒井選手自身がそう感じたということは、監督からは相当守備面に関してアドバイスもあったのでは?
 
「チームとしては比較的サイドバックが高い位置をとるスタイルだったので、守備面よりも攻撃面での指示が多かったと思います。より守備の重要性を感じたのはプロになってから。自分自身『全然ダメだな』と痛感し、ちゃんと鍛えようと思うようになりました」
 
――当時、お手本にしていたサイドバックの選手はいましたか?
 
「特別にはいなかったですね。紅白戦をする際に先輩のプレーを見たりはしていましたけど。基本的には自分で。だから好きな選手もいなかったです」
 
――ユース時代に自分が一番手ごたえを感じる瞬間はどんな時でしたか?
 
「やっぱり自分がパスしたボールをFWが決めてくれる瞬間はすごく気持ちよかったですね」
 
――その正確なクロスが右サイドから上がっていたんですね。
 
「ユース時代は左サイドだったんですよ。だから右足はまったく使っていなかったです。利き足は右なんで(左足のキックを)かなり練習したんですけど、やっぱり右足にはかないません(笑)」
 
――トップに上がってからは右サイドバックでプレーしていますが、左を経験しているだけに、やりやすさも感じているのでは?
 
「左足で蹴られるので、追い込まれた局面を回避しやすくなりました。ユース時代に経験しておいて本当に良かったし、大きかったなとつくづく感じています」
 
――実際にトップチームに上がってからは攻撃と守備のバランスはどのよう考えてプレーしていますか?
 
「トップは本当に厳しいというか、まさに『勝負の世界』。1点を取るのにもすごいパワーを使いますし、逆にいえば、簡単に点を与えるチームも相当少ない。そういう意味ではサイドバックの守備は本当に重要なことだと考えています。(トップに昇格後は)最初の頃、1対1の局面でもガンガン抜かれていたんですが、そういう時は『やっぱりプロはすごいな』とあらためて感じさせられました」
 
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酒井 宏樹//
さかい・ひろき
DF。1990年4月12日生。千葉県柏市出身。183cm/70kg。柏レイソル所属。ロンドン五輪を目指すU-22日本代表。2011年10月にはA代表にも招集された。右足から繰り出すピンポイントの高速クロスはワールドクラスとの呼び声も高い。今後の躍進が期待される大型サイドバック。
 
■酒井選手のプレーを見に行こう!『柏レイソル
 
【関連リンク】
柏レイソルアカデミーディレクター吉田達磨さんに聞く「"子どもに考えさせる"コミュニケーション術」
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取材・文/石井宏美 写真/新井賢一

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