サッカーと勉強の両立は、どの家庭でも悩ましい問題となっているのではないでしょうか。今回サカイクではドイツのFCケルンへの入団が決定し、第87回関東大学サッカーリーグ戦1部を制して92~94年の筑波大学以来の快挙となる3連覇の偉業を成し遂げた専修大学サッカー部の主将としてチームをけん引した、大学ナンバー1プレーヤー・長澤和輝選手のサッカーと勉強の両立についてお伝えします。
昨年末から、Jクラブによる争奪戦が報じられている長澤選手ですが、入学当時は、チームが2部リーグに所属し、また、自分自身の実力もまだプロのレベルに達していないと考え、プロサッカー選手を夢見ながらも、他の選択肢も考えていたと言います。プロへの道を懸命に模索し、真摯な姿勢で取り組みながらも、その一方では、自らの可能性と選択肢を広げる努力をしていたのでした。
■文武両道というより、他の可能性も残しておきたかった
5歳の頃、当時住んでいたマンションの目の前の空き地で開かれていたサッカースクールに入ったのをきっかけに、サッカーにのめり込んでいった長澤選手。最初はサッカーそのものよりも、周りの友達と一緒になって騒ぐことの方が楽しく、ときには練習をさぼることもありました。
「正直、中学に入るまでは、それほどサッカーには興味を持っていませんでしたね」
それでも、小学6年生になると、市の選抜に選ばれプレーすることも。同学年の仲間たちは、地元・千葉をホームタウンとする、Jリーグの柏レイソルやジェフ千葉のジュニアユースに進むほど能力の高い選手が多く、中学進学にあたっては、長澤選手もジェフ千葉のジュニアセレクションを受験。しかし、残念ながら、結果は不合格となりました。学校のサッカー部に所属するか、それとも別の方法を選ぶか。「より高いレベルでプレーしたい」という気持ちをから、クラブチーム・三井千葉サッカークラブでプレーすることになりました。週に2回、放課後、クラブチームの練習に通い、土日は練習試合、または試合をこなすと、それ以外のクラブチームの練習のない日は、所属していた学校の陸上部の練習に参加することもありました。
写真左:中学生時代に所属した三井千葉サッカークラブのチームメイトと
写真右:勉強の進め方でアドバイスしてくれた姉と
当時の夢は、小学校の卒業文集にも綴った「プロサッカー選手」。しかし、それはあくまでもまだまだ“夢”のレベルで、その夢がまさか実現できるとは到底思えませんでした。それでも、その頃から「サッカーに関係する仕事には就きたい」という考えは、すでに固いものに。もちろん、それをどのような方法で実現するのか、明確なビジョンはまだ出来上がってはいません。ただ、中学1年からの成績が、高校進学の際に影響することは、自然と頭の中に入っていました。
「めちゃめちゃ良い高校に行きたいとは思っていなかったですし、そんなに頭は良くなかったけれど、自分がやれることは一生懸命にやろうと思っていました。やらないで自分の選択の幅を狭めるよりは、少しでも広げたほうがいいだろうって」
もし、自身の中で、“サッカー一筋で行く”という確固たる覚悟があれば、「きっとそんなに勉強には力を入れていなかったでしょうね」と長澤選手。しかし、その決断に至るまでの材料が当時の自分にはありませんでした。
「サッカーで100%勝負できるという確信がなかったし、自信もなかった。だからこそ、サッカー以外の道、可能性も残しておきたかったんです」
サッカーも勉強もどちらも手を抜かない。そう決めた長澤選手はどのように二つを両立させていたのでしょうか。中学時代は1つ年上の姉の勧めもあり、サッカーの練習がない日には週に1,2日、学習塾に通うことになりました。
「中学の勉強は自分の中でもけっこう難しいと感じる部分あったんです。1回理解できない箇所が出てくると、どんどん置いて行かれてしまう。でも、学校だとクラス全員対先生1人だから、なかなか分かりづらいところを言いづらかった。そういった部分を、学習塾でフォローできたことは、良かったと思います」
テスト2、3週間前になると、「僕はこういうプランを立ててみたんだけど、どう?」と姉に相談することも。その都度、アドバイスをもらい、効率良く勉強を進めていきました。高校時代はサッカー部の仲の良いメンバーが集まって、テスト前に勉強会を開催。中学、そして高校でも、一人で悩まず、相談しながらより良い選択ができる環境、同じ目的に向かう仲間の存在があったからこそ、「勉強にも力を注ぐことができた」と胸を張ります。
■サッカーも勉強も『自由』と『好き勝手』は異なるもの
高校進学にあたり、自分の中でいくつか決めていたことがありました。1つは千葉県内の高校であること。そして、小柄な自分が活躍できるチームで、かつ、強豪校ということ。私立の学校からも声がかかりましたが、最終的に選んだのは、文武両道の校風が最も確立されていると感じた八千代高校体育科への進学でした。
高校卒業後の進路を心配し、当初、父一弘さんは別の高校への進学を勧めたといいます。それでも、決して押し付けることはありませんでした。一方、母千登勢さんは「人に自分の人生を決断されたら、後悔が残る。だから自分で決めなさい」と後押し。最終的には両親ともに、八千代高校体育科入学を認めてくれましたが、その決断を自ら選択させてくれたことに関しては、とにかく感謝の言葉しかありません。
「自分で選択したことだからこそ覚悟もできたし、何よりも、その後、後悔することはありませんでした」
そんな息子を温かく見守り続けくれる両親。幼い頃から“これをしろ”と押し付けるのではなく、サッカー、そして勉強においても、常に長澤選手の意思を尊重してくれました。
「“自由”と“好き勝手”とは異なると思うのですが、サッカーにおいても、勉強においても、自由にやらせてくれたことが、僕を育ててくれた。また、そういう環境の中で、何事においても、一生懸命に取り組むことの大切さを常に説いてくれたことが大きかったと思います」
長澤和輝(ながさわ・かずき)//
1991年12月16日千葉県出身。5歳でサッカーを始める。小学校時代はちはら台SC、中学時代は三井千葉サッカークラブでプレー。高校はサッカーの強豪・八千代へ進学。3年時には全国高校サッカー選手権大会に出場し、大会優秀選手にも選出された。10年に専修大学経営学部に入学。大学2年時に全日本大学サッカー選手権大会に初出場し、初優勝。また、関東大学サッカーリーグでは、11~13年まで優勝し、3連覇を達成。今季はリーグ戦でベストイレブン、ベストヒーロー賞も受賞。7月にロシア・カザンで行われたユニバーシアード競技大会に出場し、銅メダル獲得に貢献。昨冬からJクラブによる争奪戦が繰り広げられた大学ナンバー1プレーヤーの去就が注目されている。
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取材・文・写真/石井宏美