親子でチャレンジ
2014年12月15日
親の役目は、将来を決めることではなくサポートすること
卒業後のサンフレッチェ広島への加入が内定している流通経済大学のDF川崎裕大(やすまさ)選手とそのお母さんに同時に話を聞くという、母子の本音を探るインタビューの第2弾は、川崎選手の幼少期、そしていまプロ選手としての第一歩を踏み出そうとしている川崎選手にお母さんが望むこと、心配していることなどをお聞きします。(取材・文/大塚一樹 写真提供/大学サッカー連盟)
■身体能力の育て方!?
「いまはこんなに丈夫なんですけど、生まれた時は身体が弱かったんですよ」
お母さんによれば、生まれたばかりの川崎選手は3回も肺炎にかかり「この子はこの先健康に過ごせるのだろうか?」と心配するほど病弱だったそうです。
川崎選手自身は「まったく覚えていない」そうなので、身体の強さには子どもの頃から自信があったようですが、お母さんにしてみればあんなに病弱だった子がという感慨と、「いまでもそのイメージで心配してしまう」こともあるそうです。
神奈川県の綾瀬市で生まれ育った川崎選手は2つ上の兄の後追いかけるようにしてサッカーを始めました。豊かな自然が残る地元では、ゲームに見向きもしないで外で遊ぶ子どもだったそうです。
「学校から戻るとすぐに出かけて近所の公園で暗くなるまで遊ぶような子どもでしたね。鬼ごっことか、竹やぶで木登りとか、そんなことばっかりしてました」
現代っ子には珍しく、外遊び中心の生活を送っていたという川崎選手。そのときの経験が功を奏したのか、乳幼児期の身体の弱さをまったく感じさせない“身体の利く”子に成長していきました。
「足は速かったですね。それととにかく負けず嫌い。何をするにも負けるのは嫌だったし、サッカーを始めてからは試合に負けると不機嫌。本人を前にして言いづらいですが、育てづらい子でした(笑)」
お母さんが川崎選手の幼少期を振り返ると、サッカー選手に限らずアスリートの必須条件、極度の負けず嫌いというキーワードが出てきました。隣で川崎選手もウンウンと頷きます。
■子どもの負けず嫌いを育てるヒント
「サッカーのことはわからないのですが、裕大は『絶対俺が!』ってボールを離さないタイプでしたね。負けたときは手がつけられないこともありましたけど、あえて放っておきました。お兄ちゃんはボールをゆずっちゃう。弟はなんとか頑張ってついていく。試合の事は聞かない、触れないことにしてました」
これはもちろん、わがままなプレーという意味ではなく、できるまでやる、最後まで諦めない、という教えてもなかなかできない負けず嫌い特有の特殊能力でもあります。
「たしかにできないままで終わるのは嫌でしたね。ロングフィードもできるまで繰り返しやってましたし、とにかく自分にできないという事実が嫌なんです」
いまでは正確なフィードが強みと紹介されることもある川崎選手ですが、これも大学に入ってから猛特訓の末、身につけた武器なのです。
「そう考えると、小学生の頃にもっと左足をやっておくとか、ドリブルとかフェイント、テクニックやっておけばよかったなぁと後悔しますよ。本当に」
できることよりできないことが気になって、どんどん課題が出てくるのも負けず嫌いの特徴。もっともっとうまくなりたいという向上心に溢れる取り組みが川崎選手がJリーガーになった理由のひとつでしょう。