インタビュー
2011年8月13日
Jリーガーからインドリーグへ。第2のプロ生活
「ジュニアユースでプレーする兄の姿は憧れでしたし、サッカー選手になりたいと考えていました。あと、絵を描くことが好きで、マンガ家になれるんじゃないかなと思ったこともありましたね。確か、小学校の卒業文集にも、将来の夢は『サッカー選手』と『マンガ家』と書いていたと思います。当時はそこまで『サッカー選手になる』という固い決意があったわけではありません」
――その決心が固まったのは?
「中学1年から千葉市の選抜でプレーする機会があり、3年生のときにそこで優秀選手になったとき、初めて自分の中で手ごたえを感じました。それまでは気持ちもブレていたけれど、そこからは『どうしてもサッカー選手になりたい』と思うようになりましたね」
――決心が固まった後、何か変化したことはありましたか?
「正直なところ、意識は低かったと思います。それは今、後悔していることです。(自分の意識が)変わってきたのは、本当にここ最近ぐらいですから」
■東日本大震災の募金について
「東日本大震災が起きたとき、僕はインドにいたのですが、日本の映像を見た時は『これは映画なんじゃないのか』と錯覚するほど、大きなショックを受けました。両親や仙台、茨城にいる友人が心配で、すぐにでも日本に帰ろうという勢いでしたが、飛行機が止まっているということで、とりあえず様子を見守ることにしました。
地震後「自分にできることは何か」、本当にいろいろ考えました。その結果、思い浮かんだのが募金活動でした。はじめは、『インドの方から募金を募るって、どうなんだろう......!?』と、いろいろ悩んだりもしたのですが、周囲の理解も得て、まずはオーナー兼選手であるバイチューンに相談しました。そんな時に、僕が所属していていたユナイテッド・シッキムの本拠地「シッキム」に、新しく練習場がオープンすることになり、そこで募金活動を行いたいと提案しました。結局、練習試合は行われなかったのですが、チームから『これをお前に渡すから』と義捐金を頂いて、先日、被災地の一つでもあり、僕の地元・千葉県の県庁に寄付をさせていただきました。インドのみなさんの厚意には、感謝の気持ちでいっぱいです。この場を借りて、お礼を伝えたいと思います。ありがとうございました」