インタビュー
2011年8月19日
松田直樹選手(松本山雅FC)がサッカーキッズたちに遺したもの
8月4日・13時6分。34歳の若さで松本山雅FCのDF松田直樹選手がお亡くなりになりました。ここに謹んで故人のご冥福をお祈りすると共に、私が松田選手との取材機会で得た彼がサッカーキッズたちに残したものを、この場をお借りして伝えたいと思います。
■目を輝かせて語った「子どものころ」
「今回は横浜・F・マリノスの松田直樹選手へ少年時代を振り返るインタビューをお願いします」。
2006年冬、あるサッカー雑誌編集者から依頼を頂いた瞬間に私はいつにない嬉しさを覚えました。当時の松田選手は同年のドイツW杯出場こそ逃したものの、1対1の強さばかりでなく、パスの精度、視野の広さ、すべてにおいて誰もが認める日本、いやアジアを代表するセンターバック。そんな選手にインタビューをできるなんて光栄なことだったからです。
その一方で不安もありました。敵を寄せ付けない闘志を表に出したプレーが身上である松田選手。もし、そんな感情がインタビュー中に湧き出してきたら...。私はまるで、はじめて彼と対戦するFWのように緊張しながら、やや背中を丸めて、当時、東戸塚にあった横浜FMのクラブハウスへと向かいました。
でも、インタビューでの松田選手は終始、笑顔でした。自らの少年時代を、キッズたちにもわかるように、しかも「小学校時代のリフティングは最高18回」など、ユーモアも交えつつ目を輝かせて語る様は、正に「サッカー小僧」がそのまま大人になったという感じ。今回、選手、関係者の誰もが語っている「本当にサッカーが好きな男」という一端に接し、インタビューするこちらも自然に笑顔になっていきました。
ただ、そんな中でも松田選手がしきりに口にしていたのは「サッカーが好きだからこそ、負けたくなかった」という言葉でした。それまで数々の試合を闘ってきた彼ならではの、ほとばしるような熱い想い。それは「サッカーを好きになれば教えられたことへの吸収率も違う」と話したサッカーキッズたち、さらに3人の子供たちの父親としてのメッセージをも伴ったものでした。