インタビュー

2011年9月10日

水沼宏太選手(栃木SC)常にサッカーを楽しむ、自分で考え判断することを心がけてきた

■他のスポーツを経験したことも、結果として今の自分の武器につながっている

――水沼選手は小さい頃はどんなお子さんでしたか?
 
「サッカーが大好きで、いつも外で遊んでいましたね。家の中でビデオを見ることはあっても、サッカーのビデオばかり見ていて、子どもが好きなアニメもあまりよくわからない(笑)。かといって、周りから外れていたというわけでもないんですけどね」
 
――サッカー以外のスポーツは?
 
「習いごとの一つとして幼稚園から小学6年生まではサッカーと同時に水泳をしていました。実は僕自身はあまり(水泳が)好きではなかったのですが、「後々になって生きるから」という親の意向で通っていたんです。基本的に僕が所属していたサッカーのチームは土日しか練習がなかったので、土日以外の週に1日、水泳に通っていました。でも、正直、全く好きにはなれませんでしたね(苦笑)。だから、親が送り迎えをしてくれていたので、逃げられないというか、どうしてもいかなくてはいけない状態ではありましたが、何度かトイレに行きたくもないのに行ってこっそりと休憩していたことはありますよ(笑)」
 
――後々になって、水泳を習っていた経験が生かされたと感じたことはありました?
 
「今、自分は運動量を武器としたプレースタイルですし、そういう意味では、あの時期の経験が生きているのかなとは少し感じます。半ば強制的な感じではありながらも、あらためて振り返ると、水泳をやっておいてよかったのかなと」
 
――サッカーや水泳以外で何かスポーツはしていましたか?
 
「小学5年生のときに、ミニバスケットをやっている友達に憧れ、僕もミニバスをやることに。でも、試合の日がサッカーと重なるので試合には出られず。結局、両立ができなくなってしまい、1年でやめてしまいました(笑)」
 
――小学時代のサッカークラブではどんな練習を行っていましたか?
 
「うちのチームはとくにセレクションがあるというわけでもなく、誰でも入れるようなチームだったんですが、練習もミニゲームが多かったですね。監督も“サッカーを楽しむ”ということに重点を置いて教えてくださったので楽しかったです」
 
――当時はどのポジションでプレーしていたんですか?
 
「センターフォワード(以下、CF)をやっていたんですが、『俺にパスを出せ!』『パスを出してくれれば全部ゴールを決めるよ』というくらい全く動かないFWで(笑)。今のプレースタイルとは全く正反対。当時、横浜F・マリノスの金井貢史と同じクラブで、あいつはトップ下をやっていたんですが、お互いにライバル心むき出しで、どっちが点を決められるかいつも競っていました」
 
 

■自分に足りないもの、長所を伸ばすため、常に考えて練習していた

――横浜F・マリノスのジュニアユースに所属していた中学時代はどんな練習を?
 
「1つ1つの練習で手を抜かないということを心がけ、また自分が得意としているシュートをさらに伸ばすため、とにかくシュート練習をよくやっていました。自分に足りないものを補うために何をしなければならないのか、そして長所を伸ばすためにどうすればいいのか考えながら練習していました」
 
――水沼選手のお父様は元プロサッカー選手の水沼貴史さんですが、やはり幼い頃からお父様の影響は受けましたか?
 
「やっぱり『ない』とは言えないですね。でも、特に『サッカーをやれ』と言われていたわけでもありませんし、よくサッカーのビデオを見ていましたが、それも見させられていたわけではなく、自発的にみていたと思います」
 
――ご自身の中で、父親がサッカー選手というのは、どのように受け止めていたんですか?
 
「もちろん、『すごい人だな』とは常に思っていましたが、中学時代はそれがすごくプレッシャーになっていましたし、嫌な時期もありました。でも、それによりメンタルの部分が鍛えられましたし、『いつかみ返してやるんだ』という気持ちをもちながら日々を過ごしていました。でも、今は当時プレッシャーと感じていたことが、『感謝』の気持ちにかわってきていますけどね」
 
――お父様から言われたことで何か印象に残っていることは?
 
「とくに直接言われたということはないんですよね。でも、周りはそういう目で見ているんだろうな、そう言われているんだろうなと感じることは多々ありました。高1のときに初めてカテゴリー別の代表に入った時もものすごく感じました。代表はおろか、選抜にも選ばれたことのない自分が急に代表に入ったわけですからね。『自分はまだそんなレベルじゃないのに』って思いましたよ。でも、それ以降、代表に呼ばれ続け、高2のAFC U―17選手権2006にキャプテンとして出場し、そして優勝できたときは、ある意味見返すことができたんじゃないのかなと」
 
――その経験がプロになる上でも1つ大きな転機となったのでは?
 
「それ以前にまず、横浜F・マリノスのジュニアユースから高校に上がるときに、ユースに行くか行かないかですごく迷ったことがあったんです。上がるかどうか以前に、自分は上がれないと思っていたんですけどね(苦笑)。ずっとレギュラーで出ていたわけでもなかったし、そういうレベルにも達していないと考えていましたから。
だから、どこか地方の高校に行って、寮生活を体験してみようと。
でも、当時の(ユースの)監督が自分に期待をしてくれていることがわかり、その気持ちに応えなければという思いと、プロになる一番の近道を考えたとき、ユースでプレーすることが最善の選択だろうと決断しました」
 
――先ほどからお話を伺っていると、子どもの頃から「自分には何が足りない」とか「そのためにこうしなければならない」など、自分で考えられるタイプだったように感じます。
 
「そうですね、今、自分がどんな状況で何をしなければならないかという判断はできていた方だと思います」
 
――『考える』という癖をつけるよう、指導者やお父様から言われていたことは?
 
「いや、それはなかったですね。いつの間にか、自分で判断して考えるようになっていました」
 
 
子どもの頃から、常に自分で考え、判断することで成長を遂げてきた水沼選手。このインタビューの続編では、プロに入ってから、そしてロンドン五輪に向けての思いを語っていただきます。
 
 
 
水沼宏太//
みずぬま・こうた
MF。1990年2月22日神奈川県横浜市青葉区出身。175cm/66kg。あざみ野FC - 横浜F・マリノスジュニアユース - 横浜F・マリノスユース - 横浜F・マリノス - 栃木SC(期限付き移籍)。ミッドフィールダーからフォワードもこなすオールラウンダー。攻撃力に加え豊富な運動量を生かした献身的な守備も魅力。父は元日本代表、日産自動車・横浜マリノスで活躍した水沼貴史氏。
 

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水沼選手のインタビュー続編はこちら(9月11日UP)>>

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