インタビュー
2011年10月 7日
『ターニングポイントとなったDFへのポジション変更』槙野智章(1.FCケルン)
■コンビニ禁止!菓子パン禁止!徹底した栄養管理
――小学生の頃は背が低かったそうですが、身長が伸び始めたのはいつ頃ですか?
「中2の夏ですね。自分でも驚きましたよ。なんせ一気に50センチくらい伸びたのかな!? 実はジュニアユース時代には、親も同席して栄養について講義があったんですよ。中学時代は一番重要な時期なので、骨を強くして筋肉をつけようというテーマで様々な話を聞かせていただきました。そこで受けたアドバイスに忠実に食事を摂るようになってから、ぐんぐん背が伸び始めましたね」
――具体的にはどんなことを実践したのですか?
「まずは、当り前のことですが朝ご飯を食べること! その頃、僕は1日3食以上食べていましたね。朝、昼、練習前、練習後、夜と。いつもおにぎりを4つ持って出かけ、練習前、そして練習後すぐに炭水化物を摂取することを心がけました。まあ、今考えたら少し食べ過ぎかもしれませんが(笑)、成長期である当時はそれが良かったのかもしれません。あと、ジュニアユースではコンビニ禁止令が出ていたので、コンビニにも行きませんでしたし、菓子パンなんかも食べたかったけれど我慢しました」
■FWというポジションに限界を感じていた
――ジュニアユース時代もポジションは変わらずFWだったのですか?
「中学1,2年生まではFWやトップ下で、森重(真人・現FC東京)とツートップを組んでいました。ポジションがかわったのは中3のとき。今でもこの時のことは忘れませんよ。きっかけは監督の月岡(利明・現レノファ山口監督)さんの『DFをやってみないか?』という一言でした。その時は、単純にDFの選手がいないということで試しにやってみたんですが、それが意外とうまくプレーすることができて。そこから本格的にDFとしてプレーしないかという相談を受け転向することを決意したんです」
――そのポジション転向に抵抗はなかったのですか?
「その頃、実はFWとしての限界を感じ始めていた頃で、FWとしてこれ以上先はないんじゃないのか、成長はないんじゃないのかと悩んでいたんです。実際、中3になるとFWとして持っていた武器が全く通用しなくなって、新しい場所で、新しい自分を作り直さなければいけないと考えるようになっていた。だからこそ、月岡さん(ポジション転向を)から提案されたときはすんなりと受け入れられました。ただ、DFに転向した直後はかなり苦労しましたけどね(苦笑)」
――どんなことが大変でしたか?
「まず、ラインの上げ下げがわからない。最初は後輩と一緒にコンビを組んで、後輩にリードしてもらっていました。そして練習後には監督にレクチャーを受けたり、ビデオで確認をしたり。もちろん失敗もたくさんしました。それでも、監督は我慢強く僕を試合で使ってくれて。それでふっきれたというわけではありませんが、徐々にプレーが良くなっているという実感もありましたし、トレセンにも呼んでもらえるようにもなって。そのうち、後ろで自分が動かすという楽しさも覚えましたね」
■とにかく必死だった。先輩にも後輩にも遠慮はしなかった
――当時、後輩にリードしてもらうということに関しては、どのように考えていましたか?
「中学3年はユースに上がれるか上がれないかというステップの時期でもあるので、もう恥ずかしいなんて言っていられませんでした。自分の中では、『ユースに上がる=プロになる近道』だと考えていましたから。とにかく時間がないと、毎日必死でした」
――だからこそ、余計にポジション転向が怖いと感じたり、リスクを背負うとは思わなかったですか?
「もしかしたら、あのままFWでプレーしていてもユースに昇格することはできていたかもしれません。でも、プロ選手にはなれていなかったでしょう。それに、結果論になりますが、だからこそ攻撃もできるDFになれたわけですし(笑)」
――高校時代は希望通り、サンフレッチェ広島のユースでプレーすることになったわけですが、ユース時代は全寮制ということで、初めて親元を離れての生活となりました。
「(ユースの施設がある)吉田町では何度も試合をしたことがありましたし、親元は離れるとはいっても広島県内なので……とは思っていましたが、『寮生活だし、先輩もいるし』と、最初は抵抗がありました。しかも、中3でユースの練習に1週間参加したんですが、あまりにハードすぎて足がつりそうになり『こんな練習が3年間も続くのか……』と不安になったり。スピード、パワー、質とすべてにおいて、中学時代とはまったく異なっていましたから。まず、そこで大きな衝撃を受けました。(同じ広島ユース出身の柏木)陽介(現浦和)は『お前は普通にやっていたぞ』と言うけれど、僕自身は必死についていくという感じで。でも、当時から遠慮だけはしてなかったですね。高2の先輩にも指示を出していたくらいですから。むかつく後輩だったでしょうね(笑)」
――ホームシックにはかかりませんでしたか?
「それに関しては全く問題ありませんでしたね。同期は全員で7人でしたが、陽介以外は全員知っていましたし。寮生活をしていたというよりも、3年間合宿をしていたという感覚のほうが強いかもしれません。修学旅行みたいでしたよ(笑)」
槙野 智章//
まきの・ともあき
DF。1987年5月11日生。広島県広島市出身。182cm/77kg。ドイツブンデスリーガ・1.FCケルン所属。サンフレッチェ広島ユース(吉田高) - サンフレッチェ広島 - 1.FCケルン。ポジションはセンターバックやサイドバック。FW時代の経験を生かした果敢な攻撃参加や高い特典能力も魅力。サンフレッチェ広島時代のゴールパフォーマンスは話題となった。現在、2014FIFAワールドカップブラジル アジア3次予選の日本代表にも招集されている。
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