インタビュー

2014年11月26日

「親が放っておく時間に子どもは育つ」宮澤ミシェルの子育て論

■歴代日本代表監督に感じたパッション

フィリップ・トルシエが日本代表の監督になったときも、熱すぎるもので迫ってくるから、選手たちはストレスに感じる部分もあったと思うんです。オシムはまた違いましたね。もっと、迫ってくる。ぼくがちょうど現役を引退したあとに、元所属クラブのジェフ千葉の取材をしていた時期があったんですけど、オシムを取材するメディアはみんなビクついていました。
 
「おい、お前が質問しろ」という感じで、質問する側のぼくに迫ってくるんです。「明日はどういうプランで戦えばいいんだ?」「おれらはサイドからいけばいいのか、真ん中からいけばいいのか?」などと逆に質問をして、メディアが答えると「ありがとう」と言って出ていくんです。そのあとを記者がぞろぞろ追いかけていく。
 
ある指導者研修でも、80人くらいがひと部屋に集まっていたんだけど、オシムは「大きすぎるだろ」といって部屋を変えさせるんですよ。それでみんなで慌てて部屋を移動して、オシムも『そうだよな、80人はこれくらいの部屋だよな』『ところで紅茶は?』とか言い出すからまた慌てちゃって。『まあいい、今日はそこまでは言わない』といってようやく始めたりする。それがオシム。面白いでしょう? 最高だった。そういうのが指導者であって、人間味というのかな。そうやって選手たちの耳目を集めて引っ張っていかないといけないんですよ。
 
いち早く結果を出そうとするならばマニュアルに沿ったスマートなやり方でもいいかもしれないけど、それでいち早く結果が出せたとすれば、いざ、それまで想定もしていなかった状況に置かれたときに脆いのが今の日本サッカー。その点はジーコも懸念していました。何の失敗もなくうまい具合に育っていければ早々に結果が出るから素晴らしい。だけど、そういう子どもはいざ失敗したときに取り返すのに時間がかかってしまう。挫折を知らないからです。一方、子どものときから試行錯誤して、悪戦苦闘を繰り返してきた子どもは、思いもよらない壁が目の前で迫っても、また来たな、くらいの感覚で堪えることができる。そういう経験があるかないかで全然対応が異なってくるんです。だから小さい頃からいろいろと経験させないとダメなんだと思うんです。
 

■親が放っておく時間に子どもは育つ

ぼくがよく講演などでも話すことですが、子どもはじつは自由に遊んでいるときが一番育つんじゃないかと。親が放っておく時間に喧嘩をしたりしながら経験を積んで、勝手に育っていくものだと思うんです。確かにゲーム機を与えてしまえば親の管理はとても楽ですよ。子どもはそれに夢中になってしまうから。だから僕は子どもにゲーム機を与えなかった。何かを一生懸命やったあとのご褒美としてゲームをやる、というふうに親がコントロールできるならばいいけど、でも子どもはゲーム機の楽しさを知ってしまったら四六時中やってしまうでしょう? 親の目を盗んででも。だって面白いもの。ずっとやっていられますからね。
 
ぼくが子どものころは、ゲーム機の代わりがサッカーだった。ボールが一個あれば相手を抜けるし、ときには喧嘩になるし、家に帰ってきてからは「あいつが気に入らない」とか「あいつがおれの足を蹴っ飛ばしたんだ」とか、そういう出来事をどんどん親に話すような環境があった。だけど、そういう子どもが熱い感情を表に出せる環境というものがいまはほとんどないように思うんです。
 
それでも親は子どもに自立してほしいと願っているし、ひとりで物事を乗り越えられるたくましい大人になってほしいと願っています。だけど、それはちょっと無責任なのかなと。ずっと自分たちの思うように、管理しやすいように育ててきてしまったのだから、そのレールのうえで育った子どもに壁を乗り越えるだけのパワーもパッションも期待するのは難しいと思います。
 
 
 
宮澤ミシェル
現役引退後、サッカー解説を中心に情報番組やラジオ番組など幅広く活躍。1998年「フランス・ワールドカップ」をはじめ、その後の「日韓・ドイツ・南アフリカ」と4大会を現地におもむき、実況解説。Jリーグをはじめ国際大会、スペインリーグ等・NHK・WOWOWにて世界を視野に入れた解説を行っている。また全国の子どもから学生を対象にしたサッカー指導も行っている。2010年からは千葉県・浦安市教育委員としても活動中。
[経歴]
1986年 フジタ工業(株)入社
1987年 フジタサッカークラブ(現:ベルマーレ)プロ契約
1989年 天皇杯サッカー選手権準優勝
1992年 ジェフユナイテッド市原に移籍
1993年 日本国籍取得「アジア大会日本代表候補に選出」
1994年 トーラスレコードよりCD発売
マガジンハウスより「宮澤ミシェルストーリーJリーグ帰化物語」発売
1995年 BayFM 「千葉ダービーマッチ」パーソナリティ
1996年 現役引退
1997年 帝京高校サッカー部コーチ就任(全国高校選手権 準優勝に導く)
2003年~2007年 PUMAサッカーアカデミー・チーフコーチ
2010年~千葉県・浦安市教育委員としても活動
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