インタビュー
2015年8月21日
「日本に足りない"人間力"をサッカーで養ってほしい」村井チェアマンの想い
Jリーグ第5代チェアマンの村井満さんに、子どもとサッカーについて聞くインタビュー。後編はブラジルW杯の日本代表にも見られた課題を通して、「考えるサッカー」、子どもたちに求められるサッカーについてお話を進めていきます。サッカーで大切なことは技術を延ばすことだけではない。だからどんな子どもにもサッカーをプレーする意味がある。サッカー選手になるための育成、強化だけにとどまらない、サッカーを通じた人間力の醸成にまで話しは及びました。(聞き手・構成 大塚一樹)
■プレーを分けるのは心・技・体だけではない!子どもたちにこそ養ってほしい「人間力」
村井 親が自分のために一生懸命やるという話をしましたが、小学生年代のサッカーに必要だなあと思うのは、実はサッカーの技術以外のことが多いです。
Jリーグ開幕前にプロになりたての選手たち約100数名を集めた、Jリーグの新人研修でもこの話をしたのですが、毎年Jリーグに新たに加わる選手のうち何人が10年後もJリーグでプレーしていると思いますか? 平均引退年齢は26歳です。厳しい世界で、ほとんどの選手が思うような成績を残せないまま若くして引退していきます。なかにはカズ選手のように長くプレーをする選手もいますが、そういう選手との違いはどこにあるのでしょうか。技術レベルが低かったのか? 戦う意思が他の選手に比べて少なかったのか? それともフィジカルが弱かったのでしょうか? 私はそういう心・技・体の要素の他にも大切なことがあると思っています。それをどう説明したらいいのか、「人間力」としか言い表せないのですが、プレーのなかで分解して見ていくと、まず、ピッチ上で起こっていることを観察する能力。それから、相手チームや相手選手の動きを観察しながら、相手や自分の緊張状態や、ピッチコンディション、天候やサポーターの様子などを冷静に分析できる力。また、監督やコーチに言われた通りに動き、常にベンチを見ながらプレーする選手と、観察したことをもとに自分で考えてプレーできる選手は、やはり違うと思います。
先のブラジルW杯で日本代表の成績について、日本サッカー協会のテクニカルレポートや、報道をはじめ、様々な分析がなされました。それぞれの意見に耳を傾けると、納得するところも多くあるのですが、自分なりに総括をしてみると、止める、蹴るといった技術のほかに、人間力の差もあるなと感じたのです。
たとえばコートジボワール戦では、10分おきに雨が降ったりやんだりする天候でした。私は現地にいたのですが、お客様は蒸し暑いこともあって雨の状況に合わせてカッパを脱いだり着たりする。そのくらいスタンドにいても天候の変化を感じられる状況でした。さらには日本ではあまり経験しないようなスタジアムの雰囲気もありました。試合中、緊迫した状況ながら、間断なくウエーブが起きているという不思議な時間帯がありました。そして、ドログバが登場した時の地鳴りのような歓声。どれも普段とはまったく異なる状況です。ああいう状況のなかで、冷静に人間力を発揮できる選手でなければ勝てないと感じました。観察する力、観察したことをもとに考え、分析する力、そしてその分析を仲間に伝える力。サッカーはチームスポーツですから、自分だけがわかっていても仕方がありません。適切にコミュニケートして仲間に伝える力も必要ですよね。さらにそれを徹底して実行するリーダーシップ。こうした力がなければ、足元の技があっても、いくら速く走れても、球際が強くても、戦況をコントロールできず勝てないと思いました。私はこういう「人間力」としか言いようがない力を、日本の選手たちはもっともっと磨かないといけないと強く感じました。
■少年サッカーは考える力を身につけ、人間力を磨くのに絶好の場
――考えるサッカーの大切さは小学生年代にこそ必要と言われて久しいです。サカイクでも「自分で考えるサッカーを子どもたちに」というスローガンを掲げています。
村井 ぜひこの年代で身につけてほしい、小学生にこそ必要な力ですよね。学校の課題で朝顔の観察をするにしても、成長の経過をただ観察するだけではなく、それを見たことで何を考えて、どう発表するのか。そういうことを考えていかなければいけません。
――サッカーでそういう力を身につけるためにはどうしたらいいでしょう?
村井 少年サッカーは、教員だけではなく、ビジネスマンも自営業の方も、それこそいろいろな職業のお父さん、お母さんが関わります。いろいろな社会を経験している多様な人間が関わるということは、人間力を鍛えるのにはとても有利だと思いますね。人間力は学校だけに委ねていても成長しにくい部分です。地域で子どもの成長に関わるのが大事だと言われるのは、様々な人間が関わることではじめて鍛えられる力があるからです。もちろん子どもたちがしっかり考えるように導いてくれるコーチもいらっしゃいますが、親だって、サッカーの技術はともかく、そういう「人間力」の観点であれば、いくらでも関与できると思うんです。ただし人間力は育つのに時間もかかるので我慢も必要ですが。
――自立させる、自分で考えるというテーマを掲げると、大人が我慢しなければいけない場面も出てきます。
村井 あると思いますよね。ついつい教えすぎているというのはあるかもしれませんね。何かを指示しないと教えている実感がもてない。「考える」という行為には時間が必要なので、じつは「待つ」ことも必要なのですが、保護者からは「あのコーチは何も教えてくれない」とみえて、コーチが責められることもある。
優れたコーチを見ていると、「どうしてあのプレーをしたの?」「どうしてあっちに走ったの?」と問いかけてあげるくらいで、こうしろ、ああしろとは指示しませんよね。言わないことが考えさせることにつながっているのだと思います。
「期待」という言葉は「期限を区切って待つ」と書きます。日本の社会はコーチも親も待つことが苦手なのかもしれません。
ティーチングとコーチングの違いという話があります。ティーチングは教える人の知識量や力量を超えることができないが、コーチングは本人が持っている無限の可能性が引き出せる。「本当かな?」と思い、チェアマンになってからコーチングを受けてみたんです。なんでも試してみないと信じない性質なのでとにかくやってみようと続けているのですが、コーチは見事に何も言いません。「どうだった?」「これからどうしたい?」「目標は?」そう聞かれると、自分で考えていたことを一生懸命言語化しなければいけなくなる。前より自発的に考えるようになったんですね。私は何事も理屈じゃなくて実践派です。自分で体験して確認してみないと信じないタイプです。小学生年代に考えることが必要だということも、6年間息子を通じてサッカーに関わって実感したことのひとつなんです。
サッカー少年の子育てに役立つ最新記事が届く!サカイクメルマガに登録しよう!