インタビュー
2017年3月31日
かつてU-18に昇格できなかった "古巣"を振り向かせたFC東京・廣末陸の親の教えとは
2016年度の高校年代のナンバーワンチームを決める高円宮杯で優勝を果たし、今年の1月に行われた全国高校サッカー選手権大会でも初優勝を果たした青森山田高校。そこでレギュラーGKを務めた廣末陸選手は、東京都出身でFC東京U-15深川に所属していながらもU-18チームへの昇格は叶わず、遠く青森の地に活躍の場を移したという経緯があります。
そんな彼ですが、悔しさをバネにチームとしてこれ以上ない結果を残し、見事古巣であるFC東京への加入を決めました。昇格を逃した悔しさ、そしてそこからの越境進学……。サッカー人生で様々な経験をした中、ご両親の教育姿勢が自身の成長を支えてくれたと彼は語ります。サッカーを始めた経緯からそれを支えたご両親の存在や教えについて、語って頂きました。(取材・文:竹中玲央奈、写真:新井賢一)
■FWからGKへの転身
――まずは、サッカーを始めた経緯を教えて下さい。
幼稚園の年中の頃、園庭の横で帰りのバスを待っていたのですが、園庭でサッカーをしている人たちがいたんです。その姿を見て「あれは何だろう?」と思って、「やってみたい!」と親に言ったのが始まりです。父はサッカーと野球の両方をやっていて、どっちも好きだったんです。ただ、自分がやるにあたっては特にどちらかを押し付けるということはなかったですね。気ままにやり始めたという感じもあります。
――FC東京のアカデミーから青森山田高校に進学し、プロになるタイミングで東京に戻って来られましたが、FC東京のアカデミーへはどういう流れで加入したのでしょうか?
僕は小学4年の冬にFC東京サッカースクールの深川アドバンスクラスに入ったんです。その時はFWだったのですが、小学校卒業時にGKとしてオファーが来たんです。そこからGKになることを決めました。正直言うとFWをやりたかったんですけれど、Jリーグクラブのアカデミーへの憧れがあったというのと、GKだとしても高いレベルにいけるのなら、ということでFC東京に進むことにしました。
――FWからGKに、というのは振れ幅が大きいですね。
ずっとFWをやっていたんですけれど、いきなりですよね。ただ、それまでもPKのときだけはGKをやっていました。小学生だと身長が大きい人がPKの時だけGKやるチームって多いじゃないですか。僕は結構大きくて動けるほうだったので、GKをやっていたんです。
――なぜFC東京はGKとして誘ったのでしょうか。
もともとFWとしてシュートが武器だったんです。シュートとキックの飛距離に関しては誰にも負けない自信がありました。そこを見て、GKとして足元の技術を使ったときに伸びる可能性を見出してもらえたのかなと。実際に今でもキックは武器になっていますし。
――FC東京に加入するにあたってご両親には相談しましたか?
FC東京から両親に話があったのですが、親は自分に「どうする?」と決断を委ねてくれました。「FC東京に行ったほうが良い!」というような感じはなくて「お前が決めるべきだ」というスタンスでした。
■両親はプレーについては何も言わなかった
――もともと、色々なことの決断は委ねてくれるタイプだったのでしょうか。
いつでも「やりたいようにやれ」という姿勢でした。青森に行く時も「自分がそれでいいならいいんじゃない?」みたいな感じで、両親2人ともすごく軽いんですよ(笑)。わざとそういう風に接してくれていたのかわからないですけれど、「自分の人生なんだし、やりたいようにやればいいんじゃない?」という形の、良い意味での放任主義でした。
――サッカーを始めてからご両親が応援に来たこともあったかと思いますが、お父さんからプレーに対して指摘などはあったのでしょうか。
あまりなかったです。そこはやっぱり、コーチがいるので。専門にやっている方たちに任せるというスタンスでした。小学校の時は戦術らしい戦術も無かったですし……。ボールを一緒に蹴るくらいのことはしましたけれど、サッカーについて深く話したことはないですね。
――今の少年サッカーでは、指示をしてはダメだと思いながらも押し殺せない親御さんもいるそうです。
友達の親でもそういう方はいましたね。U-15時代のチームメイトで、試合中に親から厳しく指示出しをされている友達がいたんです。ハーフタイムに呼ばれてそっちへ行ってしまうような。親はこうしなさいと言う一方で監督はこうしなさい、と言う訳ですよね。言っていることが同じならば良いのですが、異なっていると言われた側もどうすれば良いのかわからなくなりますよね。
その選手はもちろん監督の指示を聞くのですが、そうすると親からは「なんで言うことを聞かないんだ!」と怒る。板挾み状態になるので、それはかわいそうに思っていましたし、本人も戸惑っていました。
――チームメイトのその姿を見て、廣末選手自身も「親が言うべきか言わないべきか」というようなことを考えるようになったんですね。
結局、その人は途中でサッカーを辞めてしまったんですよ。勉強に専念するということで。正直、残念な気持ちがありました。
――廣末選手自身はずっとご両親にプレーについて言われることはなかったのですか?
良いプレーに対しては褒めてくれましたけれど、「あのプレーはこうしたほうが良かったよ」という類のものは強くは言われたことはないですね。
――自分は親がかなり本気でサッカーをやっていて、結構言われるほうでした。
僕はがっつり監督に怒られたとしても、家に帰れば親が「次は切り替えてやりなよ」と、そう言ってくれました。僕の親はすごく真剣にサッカーをやっていたかというとそうではないんです。普通に部活でやっていた程度で、全国優勝を狙っていた訳でもなかったので。
――ちなみにご両親からはサッカー以外でも何か口を出されることは無かったのでしょうか。
全く言われなかったですね。中途半端にあれもやれ、これもやれというよりは、「何か一つ特化したものを死ぬ気でやれ」というタイプだったので。勉強もサッカーもどっちつかずの状態でいくなら、サッカーに専念するか、勉強だけをひたすらやるか。どちらかの方が良いよ、という方針だったように思います。少なくとも、僕自身はそう感じました。
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