インタビュー
2017年11月24日
最初は「サイアク。痛いし...」だった浦和レッズの守護神・西川周作がGKの魅力にはまったキッカケ
■背番号1のフィールドプレーヤー
それでもGK専門としてプレーするのは、少年期にはまだ抵抗があったと言います。西川選手にとって幸いだったのは、中学校時代の所属先が、自由なスタイルを重んじるチームだったことでした。
「前半はGKとして出て、後半からフィールドプレーヤーとしてピッチに立つこともありました。背番号1のフィールドプレーヤーでしたね。いろんなポジションをやらせてくれる監督だったのは、僕にとって良かったと思います」
西川選手は自身の経験をもとに、小さい頃はいろんなポジションでプレーしたほうがいいという考えを持っています。
「今、僕が足下に自信を持っているのは、いろんなポジションをやってきたことが大きかったと思うし、フィールドをやることでGKに役立つ部分もある。逆に、フィールドプレーヤーがGKをやることで、気付くこともたくさんあると思います。だから、今の子どもたちはGK、フィールドにかかわらず、いろんなポジションをやってほしい。そのなかで、自分に向いているポジションが見つかるとも思いますから。GKに関して言えば、見るのとやるのとでは印象は全然違います。もちろん難しさもありますけど、やった人にしか分からないGKの楽しさがある。その意味でも、子どもたちには一度はGKというポジションを経験してもらいたいですね」
西川選手がGKとして成長していくうえで、両親の存在も大きかったと言います。
西川選手は子ども時代に、サッカーをプレーするなかで、両親からは何も言われなかったそうです。好きなことをやってくれればいい。そうした親御さんのスタンスが、西川選手に余計な重圧を与えず、純粋にサッカーを楽しむことができたと言います。
「父は野球をやっていたので、本当は野球をやらせたかったみたいですけど、サッカーをやりたいと言った時も、お前の好きなスポーツをやればいいと言ってくれました。たまに応援に来てくれましたが、ダメ出しをすることもなく、がんばったねとか、よかったねとか言ってくれるような親でした。何も言われなかったこともあって、小学校、中学校と僕は勝敗に関係なく、本当にサッカーを楽しむことができました。中学の頃なんて、0-7とかで負けるようなチームだったのに、それでもサッカーが楽しいって、いつもニコニコしていましたから(笑)」
サッカーを続ける西川選手が両親から感じていたのは、「怪我をしないでほしい」という想いだけでした。そして、GKというポジション柄、いつも泥だらけになるユニホームを毎日洗濯してくれていたことが、西川選手の記憶に大きく残っているのだそうです。
後編では二児の父親でもある西川選手の子育て論に迫ります。
西川周作(にしかわ・しゅうさく)
浦和レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)所属。ゴールキーパー。大分県出身。大分トリニータ下部組織を経て、トップチーム昇格。高卒1年目から正GKとして活躍。2010年サンフレッチェ広島に移籍後は4年連続でリーグ戦全試合出場を果たしチームの優勝に貢献した。2014年に浦和レッズに完全移籍。2006年から日本代表として2014年ブラジルW杯、2015年アジア杯メンバーに選出されている。