インタビュー

2018年5月21日

第一印象は「下手くそだな」。大津高校時代の恩師が明かす、巻誠一郎の原点とは?―巻誠一郎(ロアッソ熊本)×平岡和徳(大津高校総監督)スペシャル対談 Presented by THERMOS

魔法びんのパイオニアとして知られる「サーモス」とサカイクのコラボで展開するスペシャル企画「プロサッカー選手が恩師を訪ねる」。第一弾となる今回は、2006年のドイツワールドカップにも出場、今もロアッソ熊本で活躍を続ける日本を代表するFWの一人・巻誠一郎選手(ロアッソ熊本)が、大津高校時代の恩師である平岡和徳総監督(現宇城市教育長)の元を訪れました。気心の知れた二人の「おいしい温度」を感じさせる、ここでしか聞けないお話を前後編に分けてたっぷりと紹介していきます。(記事提供:サーモス株式会社)

大津高校で過ごした3年間は巻選手のサッカー人生にとってかけがえのないものとなったそうです。そして卒業後、約20年が経った今でも指導を受けた平岡先生との交流は続いています。そして今回は普段話すことのないという、巻選手の高校時代を振り返ってもらいました。

巻選手は大分での練習試合後にクルマで2時間半をかけて宇城市役所を訪れてくれました。この街は平岡先生、巻選手にとっての故郷。

平岡監督は今、熊本県宇城市の教育長の職務をこなしながら大津高校サッカー部の指導にもあたっています。

今でもお会いするときは緊張を隠せないという巻選手。予定の時間を少し過ぎ、謝罪する巻選手に平岡先生の「サッカーを一生懸命やってきたのだから、謝る必要はないよ」という一言。お二人の関係性はもちろん、サッカーに対する情熱を感じることができました。

この地域の卒業生たちは帰省すると平岡先生を訪ねてくるといいます。そのなかでも巻選手とは会う機会が多く、震災の復興支援に関しても一番連絡をとっているそうです。

そんなお二人も滅多に振り返ることがないという当時のこと、そしてお互いをどのように思っていたのかを伺いました。

■第一印象は「サッカーが下手くそだな」

平岡「誠一郎の第一印象は、サッカーが下手くそ(笑)。でもそれを変える強い心を持っていたよね。心技体は掛け算。たとえ技が未熟であってもお手本となる先輩がいれば成長することができるし、身体的に恵まれていれば、それは武器になる。でも掛け算だから、心がゼロなら強みをもっていたとしてもゼロになってしまう。だから心をいかに大きく出来るかが人を育てていくうえで大事なポイント。誠一郎は心が人よりも何倍も大きかったから、ワールドカップまでたどり着くことができたのだろうなと」

巻「僕から見た平岡先生の第一印象は怖かったです(笑)。入学式の日に先輩たちが朝練をしていたので、僕らも真似をして楽しくミニゲームをやっていたら...平岡先生がグラウンドに現れて『お前らもうやらなくていい、帰れ』と...(笑)。ただ、初日に厳しい世界であることを認識できたのはよかったと思っています。中学時代に有名だった選手が集まってくるなかで、高校は甘くないのだと思い知らされました」

平岡「確か入学して早々に怪我もしたよね。ボールが上手く蹴れないから、地球を蹴っちゃって(笑)」

巻「一年生の冬ですね。朝トレーニングをすると、グラウンドが凍っているから硬い。下手くそだったので、土を蹴ってしまい...左足大腿骨の付け根をはく離骨折しました...。膝を曲げた状態でひと月くらい入院していたと思います」

■大津高校で学んだことがサッカー選手としてのベース

巻「中学時代は好きなサッカーをひたすらやっていた感じですが、平岡先生のもとではいろいろな意味でサッカーを学び、今後どのようにサッカー選手として、そして人間として成長していけばよいかを教えていただきました。平岡先生の指導のなかには"24時間をデザインする"という言葉がありますよね。今でも凄く大切にしています。自分の足りない部分を知り、24時間という限られた時間のなかで、不足部分をいかにして埋めていくのか、セルフマネジメントの意識を高校時代に学ぶことができたのは、サッカーを続けていくうえでとても役にたちました」

平岡「24時間は誰にとっても有限。そこでの工夫や努力の方法は無限だから。若いうちから24時間をデザインすることができると、道を踏み外すことが少ない。サッカーはもちろん、人として成長していくうえで、この言葉の意味は大きいと思っている。特に大学は遊ぼうとすると、遊べてしまうからね」

巻「駒澤大学の頃は近くに多くの誘惑がありました(笑)。でも何が今の自分に足りないのかを見つめ、何をすべきかを考えると、遊ぶのではなく、トレーニングすることを選べたのです。プロも厳しい世界なので、足りないことはたくさんありましたが、そのなかでも自分の何が長けていて、試合で活かせるのかを考えプレーすることができたからこそ、今があると思っています。そして考える力の土台を作れたのが、高校の3年間。かけがえのない時間が現在の自分を支えてくれています」

平岡「本当に最後まで諦めず努力できる選手だったよね。最近は出来ないことがあるとすぐに諦めてしまう子が多いけれど、それは今できないだけ。だから大津高校で言っているのは"できないはずがない"という言葉。なぜなら出来るまでやるから。誠一郎にしても、植田(直通)にしてもストロングポイントをヘディングにしようとすれば、そこにフォーカスしたトレーニングをさせてきた。そうした練習は1万回練習してダメでも、1万1回目で成功するかもしれない。だからこそ、途中で諦めていてはもったいない。その先にいる"もっと凄い自分"に出会えるチャンスを逃してしまう。ただ、大津高校の子たちは誠一郎や土肥洋一というお手本があったから、みんな最後まで諦めない。地方の公立高校なのに、50人ものJリーガーが生まれているのは、誠一郎たちの"諦めない才能"があったからだと思うよ」

巻「ヘディングの練習をするため、平岡先生によくクロスを上げてもらいましたね。ゴールのギリギリにボールが上がるので、ポストに向かって何回も飛び込んだのを覚えています」

平岡「ボールを長く蹴っていると痛みはないけど、古傷の軟骨から血が出ていた。そうなったらわざと靴を脱いで、何気なく靴下に滲んだ血を見せて『先生がそこまでしてくれるなら、俺ももっと頑張ろう』と思わせたりね。本心は嫁が怖くてすぐ家に帰りたくないから、ボールを蹴っていただけなんだけど(笑)」

巻「朝練にも欠かせず顔を出してくれる平岡先生への信頼は厚かったです。高校時代はもうちょっと遅く来てくれよ!と思ったりもしましたけど(笑)。平岡先生が誰よりも早くグラウンドに来ていましたよね。平岡先生よりも前に学校へ行くのは大変だったけれど、朝練は僕にとって重要で、みんなはミニゲームをしていたのですが、僕は線が細かったので当たり負けしない身体作りをしていました」

■サッカーがシンドイと思ったことは一度もない

巻「今までにサッカーがシンドイと思ったり、諦めようと思ったことは一度もありません。心から楽しんでいたのでしょうね。平岡先生が"諦めない才能"という言葉をおっしゃっていましたが、大津高校では諦めないことが当たり前。自分が成長しよう、上手くなろうと思えば、きついとかシンドイのは当然ですから。全員の気持ちのベースが高かったように思います」

平岡「今の選手たちには、誠一郎や植田の話をしているよ。痛いとか辛いとか苦しいとか、そういったことを含めて、大好きなサッカーだと考えていたでしょ。俺はそういう選手を育てているんだぞって。誠一郎なんて相手との接触で負傷して、ピッチサイドで目の上を縫った状態でも最後はヘディングシュートを決めてチームを勝利に導いてくれた。そういうリアルな話をずっとしてきたから、植田は『俺は巻さんよりも凄い選手になってやる』って言ってたよ。アイツの場合は、誠一郎よりも縫う針の数がとてつもなく多かったけど(笑)」

巻「そんな試合もありましたね。平岡先生との思い出で一番印象に残っているのが、高校3年生の時に出場した天皇杯です。平岡先生が運転するバスで試合のために栃木まで行き、延長戦で負けてしまいました。それでも試合を終えて帰る途中に寄ったSAのトイレで『ありがとうな』と言ってもらえたのが嬉しかったです」

平岡「それは俺も覚えているよ。『いろいろあったけれど、誠一郎ありがとうな。よく頑張ったぞ』って言ったと思う。その年は選手権に出られなくて悔しい思いもしたけれど、よいことばかりでないのは、どの世界でも当たり前。辛い経験を活かせるかどうかは、人間性だよね」

巻「高校時代に学んだことがサッカー選手としての僕のベースです。平岡先生の指導のなかで覚えている言葉がもう一つあって『サッカーは人間性をストレートに表すスポーツだ』とよくおっしゃっていました。その当時はただガムシャラにプレーしていましたが、今思うとその通りだなと。よいおこないをしていると、サッカーにも繋がって、不思議と自分の所にボールが転がってきます。一生懸命頑張っている選手とか、下手くそでも執着心持ってやっている選手の所に、最後はボールが転がってくるんです」

平岡「誠一郎は僕の指導を体現してくれた選手だと思う。そしてそれはプロになって多くのファンを魅了した。ゴール裏にお客さんが入る理由は、いいFWがいるかどうか。誠一郎の試合でゴール裏に人が集まっていると本当に嬉しい」

年月が経っても薄れることのない二人の関係。それはお互いに尊敬の心があるからだと考えます。巻選手の軸を作った恩師。そして自らの指導の代名詞となった教え子。平岡先生は「生徒と長く関係を保つことができるのは、部活の顧問の特権」とおっしゃいます。そしてその理想系が平岡先生と巻選手ではないでしょうか。後編ではお二人が考える今後の指導などを語っていただきます。

後編はコチラ>>


■プロフィール

平岡和徳(ひらおか・かずのり)
1965年7月27日生まれ。熊本県下益城郡松橋町松橋町(現・宇城市)出身。帝京高校での2度の選手権制覇を経て筑波大学へ入学。大学卒業後は教職の道に進み、1993年より大津高校へ赴任。同校をインターハイ18回、 選手権16回出場と「高校サッカー」を代表する強豪校に育て上げ、巻誠一郎・谷口彰悟、車屋紳太郎、植田直通など50名近いJリーガーを輩出している。 2017年4月、宇城市教育長に就任。


巻誠一郎(まき・せいいちろう)
1980年8月7日生まれ。熊本県下益城郡小川町(現:宇城市)出身。熊本県立大津高等学校では2年次に冬の選手権でベスト8進出に貢献。卒業後は駒澤大学へ進学、チームを関東大学リーグ初優勝に導き得点王にもなった。2003年、ジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)に入団。2005年には日本代表に初選出、2006年のドイツワールドカップにも出場を果たす。その後ロシア・中国などのチームを経て現在はロアッソ熊本で活躍している。


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