インタビュー

2019年8月 1日

東京五輪世代の注目選手、U-20主将の齊藤未月(湘南)が活躍できる理由「フィジカルのマイナス面を逆手に取ったプレースタイル」とは

東京五輪まであと1年と迫り、だれが選ばれるのか気になるところですよね。JリーグでもU-22世代の若手が続々と頭角を現して来て、若手の活躍に期待をしているサッカーファンも多いのでは。今夏は久保建英選手のレアル・マドリード移籍や安部裕葵選手のバルセロナBへの移籍が実現するなど、海外のビッグクラブが獲得する選手も現れ、期待はますます高まるばかり。そんな若手有望株の中から、ライフスキルの高い選手を選んで取材。

Jリーグをはじめ日本代表、各年代代表を精力的に取材している元川悦子さんが、「とてもコミュニケーション能力が高い選手」と太鼓判を押す齊藤未月選手(湘南ベルマーレ)のインタビューをお送りします。

先日行われたU-20ワールドカップで主将を務めた齊藤選手のコミュニケーション能力はどうやって磨かれていったのか。

(リード:サカイク編集部/ 本文取材・執筆・写真:元川悦子)

 

■小さいからこそできることがある

5~6月に行われたU-20ワールドカップ(ポーランド)。日本は安部裕葵(バルセロナB)や久保建英(レアル・マドリード)、橋岡大樹(浦和)といったアジア予選の中心選手を何人も欠く中、エクアドル、メキシコ、イタリアという強豪揃いのグループリーグを突破し、ベスト16入りを果たした。惜しくも韓国に敗れてベスト8以上の躍進はならなかったものの、最低限のノルマはクリアした。

原動力になったのが、キャプテンマークを巻いたボランチ・齊藤未月(湘南)である。湘南ユースに所属していた2015年に2種登録され、17歳になった2016年5月にプロ契約を結んだ彼は、翌2017年からは不動のレギュラーに君臨。チョウ・キジェ監督からも絶大な信頼を寄せられている。

165㎝と小柄ではあるが「身長が小さいからこそできることはある。カンテ(チェルシー)みたいにつねに動いていて、いつの間にかどこにでもいるような選手になれる」とフィジカル的サイズのマイナス面を逆手に取ったプレースタイルを突き詰めようとしている。

実際、U-20ワールドカップでも、齊藤の神出鬼没な動きがどれだけチームを救ったか分からない。影山雅永監督も「野生のトラみたい」と冗談交じりに語ったほど、鋭い視線を敵に向け、広い視野で危険なところを察知し、攻撃の芽を摘み取るという重要な役割を担っていた。

U-20ワールドカップで主将を務めた齊藤未月選手 英語堪能で、海外の試合でも審判と円滑なやり取りができるのが強み

 

■物怖じせず自分の意見を主張できる理由

20歳のダイナモの武器はアグレッシブなプレーだけではない。自分の考え意見物怖じすることなく主張でき、それを実践する力が際立っているのだ。幼稚園から小学校にかけて過ごした湘南インターナショナルスクールに原点があると本人は言う。

「僕の通っていた学校は少人数制で出たり入ったりが多くて、入学時はそれなりの人数がいたんですが、卒業した時は2人しかいなかった。1学年、2学年したの生徒と一緒に授業を受けるのも当たり前のことで、年齢を気にすることもなかったし、学年関係なしに要求し合うのもごく普通だった。そこはサッカーをやるうえでプラスになっていると思います。

加えて言うと、作品や劇などを創作して発表する機会が頻繁にあった。英語劇のセリフを覚えて、自分たちでイントネーションを付けて表現する場もありましたし、体育祭や文化祭も司会進行は生徒。先生は見守っているだけという形が一般的でした。何事も自主的に取り組まなければいけない環境が今の僕のベースを作ってくれたと思いますね」

英語のコミュニケーション力が養われたのも大きい。U-20ワールドカップでも齊藤が外国人メディアに囲まれながら、堂々と会話する姿が印象的だった。

「インターナショナルスクールに入れてくれた両親のおかげですけど、英語が喋れるからこそ思い切って意思疎通も図れますし、海外で戦いたいって気持ちも高まります。日本人選手は言語で苦労するケースが多いですけど、そのハードルがないのは本当に大きい。今はVARだったり、ルールもいろいろ変わっているので、キャプテンとして審判と話をする機会も増えている。それができるのは自分の武器だと思います」と本人は胸を張っていた。

自分から積極的に発信しようという意識を持っている選手は今の若い世代には少ない。ゆえに齊藤の存在感はひと際大きく感じられるのだ。

 

■クラブチームで礼儀や謙虚さを学んだ 

だからといって、全てが「外国人流」でないのが彼のいいところ。インターナショナルスクールの近くにあった藤沢FCで幼稚園の頃からボールを蹴り始め、小学校5年で湘南のジュニアに入り、U-15平塚、ユースとステップアップしてきた通り、上下関係や礼儀作法を重んじる日本の環境は育成時代を過ごしたことも自分の土台を築くことにつながったと齊藤は認めている。

「藤沢FCに通っていた小学校低学年の頃はあまり年上の人と関わることがなかったですけど、湘南に入ってからは先輩後輩もあったし敬語を使う機会も多くなりました。中学3年時に指導を受けた加藤望(柏レイソル前監督)さんを筆頭に、どのコーチも挨拶のこと片づけ用具のメンテナンス、サッカーノートの提出には厳しかった。他のJクラブに比べても、行動や私生活の面はキッチリしていたと思います。当時のキャプテンは同期の石原広教(福岡)がやっていて、自分は副キャプテンでしたけど、いつもキャプテンと同じ気持ちでやっていた。周りに声をかけたり、意思疎通を図ったりというのは意識していましたね」

と、日本人らしい団結や結束を大事にしながら自己研鑽を図ってきたようだ。

今回のU-20日本代表も、齊藤がいなければ苦境を乗り切れなかったと言っても過言ではない。つねにフォア・ザ・チーム精神を忘れず、闘争心を前面に押し出し、仲間たちを鼓舞する彼のスタンスは、影山監督も他のスタッフも心強かったに違いない。

「育成年代の時と違ってU-20代表はプロの集団。私生活で羽目を外さないとかそういうことに気を配る必要はなかった。みんなそこは分かっていましたから、練習の姿勢や公式戦に挑むメンタル面を重視して声掛けをするように努めました。イタリア戦で田川(享介=FC東京)と光毅(斉藤=横浜FC)の2人がケガをしたのは僕自身も想定外でしたし、チームとしてもダメージを受けたなとは思いましたけど、決勝トーナメントには進出できましたし、ラウンド16でも先に点さえ取れていたら韓国に勝てたと確信しています。それでも勝てないのがサッカーの面白いところ。負けは負けですし、自分自身ももっと成長しなければいけない。まずは湘南を勝たせることができる選手にならなければいけないと思っています」

と、彼はさらなる飛躍を期している。

 

■海外で戦うためにはクリアしなければいけない壁 

この大会を戦った中村敬斗(トゥエンテ)、菅原由勢(AZ)らが海外移籍を選ぶ中、齊藤はJリーグで力を蓄えることに集中している。小柄なボランチというのは「インターナショナルレベルだと厳しい」と見られがちだが、その壁をどうクリアしていくかを本人は熟考している。

「1つのプレーモデルは山口蛍(神戸)さん。ただ、僕は蛍さんより前に飛び出せると思ってます。あんなに早く嫌なポジションに戻れるようにはなっていないけど、それができるようになればもっと広い範囲で戦える選手になれると思います。現代サッカーのボランチはボックス・トゥー・ボックスで動けるのが基本。攻守両面でそうなれたらいいと考えてます」

その理想像を突き詰めることで、1年後の2020年東京五輪出場、そしてA代表定着、海外へのステップアップも見えてくる。少年時代から積み上げてきた外国流の自己表現力、日本らしい思慮深さの両方を駆使して、さらなる飛躍を遂げてほしい。

 

元川悦子(もとかわ・えつこ)
サッカージャーナリスト
94年からサッカー取材に携わり、ワールドカップは通算5回取材。Jリーグ、日本代表、年代別代表などを精力的に取材。選手だけでなく、指導者など個人の深いところまで潜る執筆活動も行っている。主な著書は『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)など。

1

関連記事

関連記事一覧へ