サッカー豆知識
2010年12月 6日
【ベッケンバウアー編】子どもに語ろう サカイク・スーパースターminiストーリー
■ポジションにこだわらなかった「皇帝」
フランツ・ベッケンバウアー(ドイツ)
第二回目は、その昔、これまでにない「リベロ」というポジションを確立した、通称「皇帝」、フランツ・ベッケンバウアーです。1964年からトップチームで活躍を始めたベッケンバウアー。少年時代はウイングとして活躍した彼は、その決定力を買われFWとして頭角を現していました。
トップチームでデビュー当初はFWやウイングなど攻撃的なポジションでプレーしていたベッケンバウアーですが、中盤の構成を重視する監督の方針もあり、MFでプレーする機会を増やしていきます。
66年のワールドカップではドイツ代表のMFとしてゲームを支配。完全な司令塔として活躍しました。その後、鋭い攻撃力とタイトな守備力の両方を認められ、70年代に入るとセンターバックでプレーする機会を増やしていきます。この頃、自伝において「右CBの位置にいながら、敵のパスをことごとくカット。守備の仕事が簡単すぎて、前線へも飛び出して得点まで決めてしまった」と書いていたほどです。
発端はベッケンバウアー自身のバイタリティと判断によって後方から前線へと飛び出していただけだったのを、監督が戦術の1つとして確立させようとします。いわゆる「リベロシステム」と呼ばれるものです。ゴールキーパーの前で守備の仕事をするポジションを当時、スィーパーと呼んでいました。
この場所を基本のポジションとしてプレーをするのですが、監督からの指示は自由に動きまわっていいというもの。特定のマークを持たずに守備をするけれども、チャンスとなれば前線でシュートも狙うという、極めて自由な役割をドイツ代表はベッケンバウアーに任せたのです。これが「リベロ(=自由)」というベッケンバウアー独自のポジションでした。つまり、「皇帝」にはポジションなんて関係なし。ピッチの全てが自分の持ち場と化したのです。
戦術の進化によって、現在ではこのようなポジションは消滅してしまいましたが、彼のように臨機応変なプレーは今も選手に求められています。持ち場は守るけれども、それだけにとらわれず、自分の判断でリスクをおかしてチームに貢献する。ベッケンバウアーが見せたこうしたスピリットは、監督からの指示でがんじがらめになってしまいがちな選手に、ある種の勇気を与えるかもしれません。