サッカー豆知識
2013年2月 4日
史上初の4年連続FIFAバロンドール(年間最優秀選手)を受賞した、リオネル・メッシの名言
サッカーの名言からサッカーを学ぶ。今回は25歳にして史上初4度目のFIFAバロンドール受賞、先日も11試合連続得点のリーガエスパニョーラ記録を樹立した、いまや世界中の子どもたちの憧れの的になっているリオネル・メッシ選手の言葉をピックアップします。
■数々の記録を塗り替えているリオネル・メッシ
史上7人目の200得点を最年少で達成。2012年には、年間91ゴール(クラブと代表の合算)を記録し、往年の名FW、“爆撃機”ゲルト・ミュラーの持っていた85を40年ぶりに更新。いま考える得るほぼすべての記録を塗り替え続けています。
数々の記録を打ち破り、すでにレジェンドたちと肩を並べる実績を残しているメッシですが、そのモンスターぶりとは裏腹に、169㎝と体格的には小柄な部類の選手です。
少年時代には成長ホルモンの分泌異常で一度はプロへの道が閉ざされかけた過去があることは有名な話です。結局、メッシは13歳の時にバルセロナのテストにパスして、治療を受け、そのまま一気に一流選手への道を駆け上がることになります。
10代前半の彼にとって、家族と一緒とはいえ、故郷のアルゼンチンから遠く離れたスペインへ渡ることは大きな決断だったことでしょう。
彼の半生を振り返ったドキュメンタリー番組では、スペインに行く決断をした彼が言ったという、こんな言葉が紹介されています。
乗るべき列車は一度しか通らないリオネル・メッシ(アルゼンチン)
ずいぶん大人っぽい言葉ですが、チャンスはそう何度も来るわけではありません。天才メッシといえども、来るべきチャンスのために自分のできる努力はすべてして、あとはそのチャンスを見逃さずにしっかりとものにする。アルゼンチンでの所属チームだったニューウェルズ・オールドボーイズやメッシ獲得に乗り出していた名門リーベル・プレートがホルモン異常を理由に獲得を見送るなか、賭けになるかもしれないバルサ入りを選択したメッシ。
FCバルセロナへの入団テストにもこんな逸話が残っています。
当時バルサの下部組織の責任者だったカルロス・レシャック(かつて“クライフイズムの信奉者”として横浜フリューゲルスで指揮を執ったあのレシャックです)は当時を振り返ってこんなことを言っています。
「彼の技術とスピードを目の当たりにした2分後、私たちは彼と契約することを決めた」
慌てたレシャックは契約の意志をはっきりさせるために、その場にあった紙ナプキンにメッシの署名を求めたというのです。このときのメッシの身長はわずか143㎝だったと言います。
■母国アルゼンチンの英雄、マラドーナをも魅了するメッシのプレー
同じアルゼンチンの大天才、マラドーナと比べられることも多いメッシですが、本人は至って冷静にこう言います。
「僕とマラドーナを比べるのは彼に対して失礼だ。僕は生まれながらの天才ではない。努力の人間なんだ。100万年経ってもマラドーナの足元にも及ばない」
スキャンダルに彩られながらも圧倒的な才能で世界中の人々を熱狂の渦に巻き込んだカリスマ、マラドーナに対して、メッシは優等生的発言が多く、面白味に欠けるとの指摘もありますが、なによりマラドーナ本人は「メッシのプレーの大ファン」と公言して止みません。もう一人のレジェンド、ペレとの舌戦で、ブラジルのスター候補・ネイマール比較して「ネイマールも良い選手だが、メッシは“地球外”だ」と手放しでメッシの才能を褒めています。
まだまだ記録を残しそうなメッシ。W杯優勝など、母国アルゼンチン代表での活躍だけがぽっかりと抜けて落ちていますが、記録と記憶に残る選手なのは間違いありません。
小さな身体で途切れそうになる細い糸のような成功への道を、必死に努力しながら自らつかみ取っていったメッシ。メッシのプレーに憧れるサッカー選手は、彼のひたむきさに学ばなければいけません。
「あのときこうしていれば」「あそこでもっとがんばっていれば」
サッカーに限らず人生で大切なのは、そのときそのときを100%の力で頑張り抜くこと。
「乗るべき列車」はいつ来るかわかりません。メッシの言葉はそれを逃さないように懸命にプレーする大切さを教えてくれています。
大塚一樹(おおつか・かずき)//
育成年代から欧州サッカーまでカテゴリを問わず、サッカーを中心に取材活動を行う。雑誌、webの編集、企業サイトのコンテンツ作成など様々 な役割、仕事を経験し2012年に独立。現在はサッカー、スポーツだけでなく、多種多様な分野の執筆、企画、編集に携わっている。編著に『欧州サッカー6大リーグパーフェクト監督名鑑』、全日本女子バレーボールチームの参謀・渡辺啓太アナリストの『なぜ全日本女子バレーは世界と互角に戦えるのか』を構成。
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