サッカー豆知識
2013年11月28日
長友選手の名言に学ぶ! 夢を公言して才能を花開かせる力
日本代表、そしてイタリアのビッククラブ・インテルの一員としてサイドを疾走する長友佑都選手は、大学時代、椎間板ヘルニアを患い、一度はサッカーを諦めかけた選手でもあります。小学生の時も地元愛媛FCのセレクションに落選、スポーツ推薦を受けることなく大学まで歩み、決してエリート街道を歩んだわけではない長友選手が、今や世界を代表するサイドバックになれた理由はどこにあるのでしょう?
先日、アジア・サッカー連盟(AFC)年間国際最優秀選手賞に選出されたばかりの長友選手の名言から「夢を実現する力」を紐解いていきましょう。
「自分の夢を人に伝えることは、決して恥ずかしいことではない」長友佑都(日本)
■夢を公言し続けた子ども時代と母の助け
小学生の時の長友少年の夢は「Jリーガー」になることでした。日本代表選手というと、子ども時代からその才能を注目され、地域では”神童”として過ごしたイメージがあるかもしれませんが、当時の長友選手は身体能力こそは高かったものの、地元の愛媛FCジュニアユースへの入団はかなわず 。公立中学に進むことになります。中学では目標を見失いゲームセンターに入り浸った時期もあったようです。このことは本人やお母さんが後に語っていることですが、長友選手は決して順風満帆とはいえないサッカー人生の中で「夢を公言すること」「それに向かって努力すること」だけはやめませんでした。
「何かあったとき居場所がわかっているから安心ですよ」
練習に身が入らず、反抗期を迎えた息子がゲームセンターに入り浸っている。そんな状況で、長友選手の母・りえさんは心配する周囲にこんなことを言っていました。シングルマザーとして3人の子どもを育てたりえさんはメディアでお見かけする姿でも知られるようにとにかく明るい性格の持ち主です。「内心は反抗期にビクビクしていた」と振り返っていますが、本人が「ゲームをやっていても仕方ない。サッカーをやらないと」という気持ちになるまで待とうと決めていたそうです。
■努力する才能さえ努力で身につける! 継続から生まれる力
中学では恩師との出会いもあって、再びサッカーに情熱を向け始めた長友選手。東福岡高校を経て、明治大学に進学します。大学では入部まもなく椎間板ヘルニアを患いボールを蹴ることすらままならない日々。“太鼓係”として過ごした時期があったことは有名な話です。ここに至るまでにすでに数多くの挫折を経験した長友選手は、大学3年までほぼ無名。いまの活躍を想像していた人は、実は長友選手本人を含めて、皆無と言っていいほどでした。
長友選手も言っています。
「僕は豊かな才能を持ったサッカー選手じゃない。だからこそ、人の何倍も努力しなければ、上へは行けない。僕から努力をとったら何も残らない」
「努力する才能」とよく言いますが、長友選手は、この努力の才能すらも、もともともって生まれたものではなく、意思と継続によって育てられるものだと言っています。
インターセプトをしたかと思えば、次の瞬間には相手ゴール迫る勢いで前線に出没し、味方がボールを失えばいち早く守備に戻る。驚異の運動量とスピードで世界を驚かせている長友選手は、実は中学校3年までは「走るのが苦手」でした。自分でも足が速いとは思っておらず、たまたま駅伝の練習で走り込みをするようになり、それを続けていたらスピードもついてきたというのです。才能を自分で限定するのではなく、努力によって引き出していく長友選手の流儀はこの頃から身についていったのです。
■長友佑都が成長し続けられる理由
「大切なのは才能を呼びさますこと。僕自身、自分の中にまだまだ凄い才能が眠っていると信じている」
Jリーガー、日本代表、海外ビッククラブで活躍……。次々に夢を叶えていった長友選手が、現在もどんどん成長を続けられる背景にはこうした考え方があるのです。
長友選手は、周囲の評価に関係なく、常に夢を持ちつづけ、それを公言してきました。誰に何を言われても、時には笑われても夢を口にすることをやめませんでした。
目下の長友選手の夢は「世界一のサイドバックになること」そして「W杯で優勝すること」。
長友選手は「Jリーガーになる」と公言していた小学生時代「21世紀の夢」と題した作文にこんな一文を残しています。
「僕の夢はイタリアで自分の好きなサッカーをすることです」
当時の彼が「ひとまずJリーガー」と思っていたのか、三浦知良選手の移籍などで「世界最高峰」とされていたイタリア・セリエAの名前をなんとなく挙げたのかは定かではありませんが、その夢がいままさに現実になっていることは紛れもない事実です。
夢を見ること、夢を誰かに言うこと、宣言することはなかなか勇気のいることです。長友選手はその時の自分の状況にかかわらず夢を公言することで自分を奮い立たせ、自分で描いた夢に追いつき、そして追い越すことでさらに大きな夢を叶えてきました。
「世界一のサイドバックになる」
究極の夢の実現のために長友選手は今日も汗を流しています。
大塚一樹(おおつか・かずき)//
育成年代から欧州サッカーまでカテゴリを問わず、サッカーを中心に取材活動を行う。雑誌、webの編集、企業サイトのコンテンツ作成など様々 な役割、仕事を経験し2012年に独立。現在はサッカー、スポーツだけでなく、多種多様な分野の執筆、企画、編集に携わっている。編著に『欧州サッカー6大リーグパーフェクト監督名鑑』、全日本女子バレーボールチームの参謀・渡辺啓太アナリストの『なぜ全日本女子バレーは世界と互角に戦えるのか』を構成。
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