サッカー豆知識
2013年12月 9日
本田圭佑選手のACミランでの背番号は? 歴代10番を振り返る
98年からは同じ旧ユーゴスラビア代表で、分離独立後はクロアチア代表としてプレーしたズボニミール・ボバンが10番を背負いました。当時でも屈指のテクニシャンとして評価されていましたが、同時に闘争心あふれるファイターでもあり、国際的な正義のヒーロー『怪傑ゾロ』にちなみ、“ゾロ・ズボーネ”と称されました。そのボバンが得意としていたのが、後ろからの縦パスを華麗にトラップしながら、守備者をかわして裏に抜け出すプレーです。視野も広く、チャンスの起点にもなれるセンスは現在の本田選手に通じるものがあります。意思が強く、思ったことをはっきり口にするところも本田選手に似ていて、今後の活躍によっては本田選手をかつてのボバンに重ね合わせる地元のファンも出るかもしれません。
01年から10番を背負ったポルトガル代表のルイ・コスタは“マエストロ”(指揮者)に例えられる優雅で正確なボールさばきとパスが彼の代名詞でした。もともとはライバルのフィオレンティーナで活躍し、ACミランに移籍したのは29歳。それから33歳まで攻撃の司令塔として君臨しました。興味深かったのは年齢が上がるに従いスピードが落ちる反面、流れを見事に読んだパスや、タックルに来る相手を優雅にかわすステップワークが巧妙さを増していったこと。最終的にはブラジルからやってきたカカにポジションを奪われ、06年にACミランから古巣ベンフィカに戻ることになりましたが、若いカカがチームに溶け込めるよう、アドバイスを惜しまなかったといいます。まさにピッチ内外で若手やプロを目指す子どもたちの模範になる選手でした。
そして06年からブラジルの名門ボタフォゴに移籍する12年まで栄光の10番を身に付けたのが元オランダ代表のクラレンス・セードルフです。実際は02年からミランに所属していましたが、ルイ・コスタの移籍をもって10番を引き継ぎました。ここまで挙げてきた選手の様な華麗なイメージはあまりありませんが、育成の名門アヤックスの下部組織で磨いた正確なボールテクニックと展開力、卓越したボディバランスで相手の守備を打開しました。テクニシャンでありながら献身的で、守備での奮闘もきらわない点もそれまでの10番と一線を画しますが、彼が仕掛ければ必ずチャンスが生まれるほど、流れを読んだ攻撃の判断力に優れていました。
そうしたスタイルは選手キャリアにおいて獲得してきたタイトルの数が物語ります。国内リーグだけでオランダ、スペイン、イタリアを合わせて5回(ACミランで2回)、UEFAチャンピオンズリーグも4回(ACミランで2回)の優勝を経験しており、史上初めて異なる3つのクラブでチャンピオンズリーグを勝ちとった選手として、サッカー史に永遠に名を刻むこととなりました。ちなみに現所属のボタフォゴでも10番を背負っています。
12-13シーズンにはガーナ代表の攻撃的MFケビン=プリンス・ボアテングが10番を背負い、アグレッシブなスタイルで強い存在感を放ちましたが、今年8月には内田篤人選手の所属するドイツのシャルケに移籍しています。そこから半年間“空き番号”となっているACミランの10番…。いかなるタイプであってもACミランで10番に求められてきたのは攻撃の中心としての役割です。もし、日本人である本田選手が継承することになれば、当然ながら地元ファンの期待は高まり、その分プレッシャーも大きくなるはずです。しかし、そうしたものも前に進む力に変えていけるのが本田選手。持ち前の攻撃ビジョンや左足のキック力を発揮して、今季は低迷が続くACミランを再び上昇気流に乗せることができれば、ACミランの10番に新たな栄光の歴史を刻むことになるでしょう。