考える力

2011年3月26日

【第4回】監督に聞く-『島根の曲者』と呼ばれる立正大淞南高校「レギュラーになれなかった選手たちの成長」part2

第89回全国高校サッカー選手権大会でベスト4に進出した立正大淞南高校(島根県)。チームを率いる南健司監督は、選手たちを「中学時代は12番目の選手だった」といいます。12番目の選手とは、レギュラーにあと一歩届かない選手のことです。

「2トップやサイドバックの選手は中学時代、12番目の選手でした。でも僕は良い選手だと思ったので、『うちでやらないか』と声をかけました。中学時代、12番目の選手だった子たちが国立のピッチに立ったことはうれしかったし、自分がやってきたことは間違っていなかったんだと思うことができました」(南監督)。

南監督はそこで言葉を区切ると、こう付け加えました。「彼らを『高校にいけば(サッカーを)やれるから』といって送ってくださった、中学時代の先生方の先を見る目もすごいなと、今日改めて思いましたね」。

(C)Hirama takashi

南監督は大学卒業後、現在の立正大淞南に着任しました。実績も経験もない時から、地域の指導者は快く選手を送り出してくれたそうです。 「赴任した当時から現在まで、同じチームの選手が来てくれています。だから、自分が育てたという感じはないんです。準決勝には、昔から選手を送ってくれた先生方が見に来てくれました。国立行きの場面を見せることができて本当にうれしいですし、少しは恩返しができたのかな。今のチームがあるのは、すべては3種(中学年代)の先生や監督のおかげ。感謝したいです」(南監督)。

南監督は中学生を見る際に、「ポイントが1つだけある」といいます。それは『ボールを持てるかどうか』です。 「僕は現役時代、ボールが持てない選手でした。だから、ボールが持てない選手は、僕としては×(バツ)なんです。ボールを大きく蹴ってしまう選手には、『お前は昔の俺か!』っていいますから(笑)。サッカーはボールをコントロールするところから始まります。逆にいうとボールを持ち過ぎる子や、ボールばかりに視線が行って、顔の上がらない子でもOKです。(選手権で7ゴールを決めた)加藤大樹は中学時代、ドリブルしかしないから×(バツ)を出された選手でした。だけど僕は彼に『キミはドリブルで生きていけるから』と、声をかけました。ボールコントロールがいい、ドリブルができるというのが、僕の中での前提条件ですね」(南監督)。

磨けば光る原石を見つけ、一人前に仕立て上げる。自分の基準を持ち、周りの評価に左右されずに信念を貫く。選手は一人の指導者が育てるものではなく、ジュニア、中学、高校と地域の指導者が一体となり、バトンリレーのようにして育って行きます。かつての『12番目の選手』を中心とした立正大淞南の躍進は、多くの地域の指導者を勇気づけるものとなったのではないでしょうか。

Text by 鈴木智之

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