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2022年10月26日
全国大会と無縁だった選手が川崎フロンターレへ。「育成のバトン」が繋いだ選手の可能性
興國高校から川崎フロンターレに加入した、永長鷹虎(えいながたかとら)選手。スピードとテクニックを活かしたドリブルを武器に、アタッカーとして頭角を表している選手です。
永長選手は幼稚園から中学3年生まで、ドリブルトレーニングで有名な三木利章さんの指導を受けていました。その後、興國高校に進むと、技術と戦術指導に定評のある内野智章監督のもとで成長し、高校卒業後に川崎フロンターレに加入します。
なぜ、小中高と全国大会とは無縁で、小中時代は目立った選抜歴のない永長選手が、J1王者の川崎から評価される選手になることができたのでしょうか? 永長選手を10年に渡って指導した、三木利章さんのインタビューをお届けします。(取材・文 鈴木智之)
■選手が"せざるをえない"トレーニング
三木さんは永長鷹虎選手の指導に、幼稚園の年長から中学3年生まで関わっていました。永長選手の第一印象は「左利きだったのもありますが、体がよく動き、他の子とちょっと違うと感じました」と振り返ります。
川崎フロンターレに入団した永長鷹虎選手
幼少期はドリブルやボールコントロール、コーディネーションを中心に、「リフティングやミニゲームなど、選手が好きそうな、興味を持つようなトレーニングをしていた」と言います。
「僕は"せざるをえないトレーニング"と言っているのですが、いろんな種類のボールを使ったり、ルールや設定を工夫することで、子どもたちが自然と考えてプレーするようになったり、脳への刺激を与えられるような練習をしていました。鷹虎の場合、幼稚園から小学校卒業までの7年間は、そのようなトレーニングをかなりしましたね」
さらに、こう続けます。
「最近の子は外遊びが減って、サッカーしかしていない子も多く、それがサッカーがうまくなる上でプラスにはなっていないと感じたので、コーディネーション要素を含む練習をたくさんしていました。極端なことを言うと、サッカー以外のことをしなければ、サッカーがうまくならないと思ったんです」
■永長選手の素質を見抜いた内野監督
様々な運動体験を通じて、幼少期に必要な技術とコーディネーションを身につけていった永長選手。次第に頭角を表すとともに、レベルの高いチームメイトと切磋琢磨していきます。
「鷹虎の学年には、他にも上手な子がいたので、負けられへんというか、ライバル心をくすぐられる環境だったのも良かったと思います。親がすごい熱心やったら、もしかしたらJクラブの下部組織に行っていたかもしれません。でも保護者も、僕を信じて中学卒業まで預けてくれました。そこは感謝ですね」
永長選手は中学2年生のときに、興國高校への進学を決めます。三木さんが指導をするジュニアユースのクラブに、興國の内野智章監督が月に1回指導に来ていたこと、三木さんが興國にドリブルトレーニングを教えに行っていたことなどの縁が重なり、早くから進路を興國に定めました。
「正直、鷹虎は興國に行っていなかったら、いまのような選手にはなっていなかったと思います。中学時代は地域トレセン止まりで、大阪府トレセンにも選ばれていない選手でしたから。でも内野先生は中学生の鷹虎を見て、『技術は間違いない。戦術理解を身につけて、プロのレベルにまで身体能力を高めればプロになれる』と言っていました」
三木さんは「その予告どおりになりましたよね」と笑顔を見せます。
「内野先生に預けたのが、指導者からするとラッキーでしたし、鷹虎にとっては運が良かったと思います。高1、高2のときは苦労して、いろんな葛藤があったと思いますけど、最終的に僕も鷹虎もご両親も『興國に行かせてよかったね』という話になりました。選手を育成していく上で、指導の繋がりであったり、繋げ方はめちゃくちゃ大事だと思います」
永長選手を中学生まで指導していた三木利章さん
■育成のバトンを繋ぐことの大切さ
サッカーの才能を持っていても、適した指導、適したチーム、適した環境に出会えないまま、花開かずに終わってしまう選手もいます。
興國高校の内野監督は「鷹虎は出会いの運に恵まれた選手」と言っていましたが、三木さんも同じように感じているそうです。
「育成のバトンを繋ぐ上で、鷹虎は恵まれたというか、運が良かったと思います。興國では戦術理解の部分を厳しく言われていましたけど、内野先生は、鷹虎の持ち味であるドリブルや攻撃的な部分はやらせまくってくれたんですよね。育成年代でよくある、苦手な部分を克服することに意識が向きすぎて、良いところが消えてしまうことがなかった。幼稚園から指導してきた自分が見ても、鷹虎らしさは消えずに残っていました」
永長選手を指導した興國高校 内野監督
小中時代に技術や身体操作を身につけ、高校では戦術理解とドリブルの精度をさらに高め、プロへの切符を勝ち取った永長選手。育成のバトンリレーがうまくいったからこそ、能力を伸ばし続けることができて、プロから評価される選手になったと言えます。
「内野先生ともそういう話になったのですが、ヨーロッパ式のサッカーIQを高める指導も必要やし、ブラジルのようなストリートサッカーの要素を含んだ、個人技術にフォーカスしたトレーニングもあっていい。プロになるには両方が必要で、僕が教えているのはブラジル寄りのことなのかなと。高校生になれば、いろんな指導を受けてきた選手が集まって、チームになっていくわけですから」
■みんな、同じような選手に見える
三木さんは長い指導経験を踏まえて、「保護者が子どもに、いろんなことをできるようにしようとしすぎて、器用貧乏になっているところもあるのではないか」と感じているそうです。
「小学校のときにやるべきこと、中学、高校でやるべきことがあります。いまの小学生を見ていると、長所を伸ばすことよりも、いろんなことができる方がいいとい考えている保護者、子どもが多いように感じます。結果としてどれもうまいけど、特別なものはないというか。よく『みんな、同じような選手に見える』という言葉を聞きますが、原因はそこにあるんちゃうかなと思います」
三木さんは「"覚える"と"考える"は違うんです」と言葉に力を込めます。
「覚えると考えるは違うと思っていて、スクールのコーチに言われたことを全部暗記して、また違う指導者に言われて、お父さんに言われて『どうしたらいいんやろ』と、頭の中がぐちゃぐちゃになっている子もいます。高校より先で活躍するために、あくまで小中学生の時期は繋ぎやっていう考え方を持てば、選手の見え方も変わってくると思うんです」
■観る人をワクワクさせる選手に
サッカー選手の育成は長い道のりです。永長選手の場合、その時点で必要なものを見極める目と指導力を持つコーチに教わり、本人が努力を続けたからこそ、J1王者の川崎からオファーを受けるまでになったのでしょう。
三木さんは永長選手に対し、「ボールを持ったら、何かやってくれるんじゃないか? と、観ている人をワクワクさせる、期待させる選手になってほしい」とエールを送ります。
次回は、永長選手の成長を見守ってきたお二人、三木コーチと興國高校・内野智章監督の対談をお届けします。