楽しまなければ勝てない~世界と闘う“こころ”のつくりかた
2018年7月18日
スポーツマンシップとは。W杯ポーランド戦の時間稼ぎを、子どもにどう説明するか
サッカークラブや各種スポーツ団体を対象に「スポーツマンのこころ」と銘打つ講義で、一流アスリートになるための心得を伝え続ける岐阜経済大学経営学部教授の高橋正紀先生。ドイツ・ケルン体育大学留学時代から十数年かけ、独自のメソッドを構築してきました。
聴講者はすでに5万人超。その多くが、成長するために必要なメンタルの本質を理解したと実感しています。
高橋先生はまた、「スポーツマンのこころ」の効果を数値化し証明したスポーツ精神医学の論文で医学博士号を取得しています。いわば、医学の世界で証明された、世界と戦える「こころの育成法」なのです。
日本では今、「サッカーを楽しませてと言われるが、それだけで強くなるのか」と不安を覚えたり、「サッカーは教えられるが、精神的な部分を育てるのが難しい」と悩む指導者は少なくありません。
根性論が通用しなくなった時代、子どもたちの「こころの成長ベクトル」をどこへ、どのように伸ばすか。これから数回にわたってお送りします。「こころを育てる」たくさんのヒントがここにあります。
(監修/高橋正紀 構成・文/「スポーツマンのこころ推進委員会」)
■あの球回しはスポーツマンシップに則った戦い方なのか
W杯ロシア大会が終了しました。
6大会連続で出場した日本代表は3度目の決勝トーナメント進出を果たしましたが、グループリーグ最終戦のポーランド戦では後半終了までの10数分間、時間稼ぎともとれる球回しが行われ賛否の声が挙がりました。
「決勝トーナメントに進出するためには必要だった」と容認する声があれば、「最後まで点を取りにいってほしかった」とか「あの戦い方は恥ずかしい」など批判的なものもありました。
ヤフージャパンのアンケートでは、あの球回しを「評価する」が56.2%(73137票)と過半数を占めました。対して「評価しない」は39.7%(51748票)、「わからない/どちらとも言えない」が4.1%(5322票)でした。
あの行為は、スポーツマンシップに則ったものではないと考えます。私が副会長を務める日本スポーツマンシップ協会会長の中村氏も、同様の意見でした。何よりも、西野監督も自分自身の信条にはそぐわないと語り、翌日、「本意ではなかった」と選手にあの作戦を謝罪しています。対する選手たちも、一生記憶から離れない消化不良の"何か"を自分のなかに抱え込んだことでしょう。
大学の授業で、学生達には「校内の球技大会で同じプレーをしたとしたら、どうかな?」という話をしました。きっと、同窓会の話のタネとして「あん時のお前らのチームは負けてんのに、他会場の結果にびくびくながら、自力突破を捨てて闘ったんだよな」と一生言われるよね、と話しました。
■子どもに「あれはいいの?」と尋ねられたらどう答える?
みなさんも、周りの人たちとさまざま意見を交わしたことと思います。つとに少年サッカー関係者は敏感に反応していました。
「子どもに尋ねられたら、どう説明すればいいかわからない」
もしも私が子どもたちに「あれはいいの?」と聞かれたら、こう答えます。
「あれはとても残念なプレーだったよ。ただし、あのことから日本が学んだことがひとつだけある。あんな選択をしなくていいくらい強くなること。それが教訓だ。二度とあんな試合をしなくて済むように、君たちがフェアプレーに徹して勝つ、真のスポーツマンになろう!」
私が恐れているのは、あのやり方を真似る子どもや指導者が出てくることです。
「日本代表だって、やったんだ。勝利のためには、時間稼ぎをしてもいいんだ」
そんなふうに、あの球回しを正当化し、真似をし始めたら、日本のサッカーの未来はありません。時間稼ぎだけでなく、ユニホームを引っ張ることも、ひじ打ちも「勝利のためにはOK」と受け取られかねなくなります。
その意味で、お手本としてクロアチアの戦いを教えてあげてください。イングランドと延長戦までもつれた準決勝、1-2と勝ち越した後も最後まで攻めました。そのまま試合を終わらせるための球回しをしませんでした。すでに3試合連続で延長戦を戦っていたのに、素晴らしい姿勢を見せてくれました。
そして、フランスとの決勝でもその姿勢を貫きます。
最大で3点差を背負いながら、リスクを恐れずに攻め続けました。前掛かりになるぶん逆襲から失点を重ねることになりますが、素晴らしいスポーツマンシップでした。W杯最後の敗者は、最も美しかったと言えるでしょう。グッドゲームをつくるフェアプレーや潔さは、とても大きな学びでした。
■漫画『ワンピース』で描かれたスポーツマンシップ
私は、日本のサッカーが、世界が到達していないレベルのスポーツマンシップを実現してほしいと考えています。社会全体が自己中心的で実利的な価値観にじわじわと蝕まれている日本では、今は理解されづらいことかもしれません。だから、ポーランド戦の球回しも、今の段階では議論することではないでしょう。何も生み出さない意味の無い議論になってしまうからです。
今回の論争では、「ポーランド戦で攻めることは、負けが予想された太平洋戦争で戦い続けた日本の姿と同じ」とも語られましたが、サッカーは「ゲーム」です。戦争とは、切り離さなくてはいけません。戦争はあくまで痛みを知らない上層部が決めたことで、現場判断ではありません。
私はスポーツ原論という講義で、『騎士道とジェントルマン』という19世紀の英国の紳士論にある「スポーツマンの描写」を伝えています。
――練習の過程で怒りを制し、仲間を思いやり、汚い手を使わず、ごまかしの疑いすら掛けられるのを不名誉として拒絶し、失望しても陽気な表情をたたえ、最後の息が肉体から離れるまで決して負けを認めないことを身につけている――
200年も昔から、スポーツマンシップは存在していたのです。
人気漫画『ワンピース』で、ジュラキュール・ミホークという大剣豪が、主人公の味方の剣士のロロノア・ゾロを軽々と倒した場面で、とどめをささずにこう言い放ちます。
「貴様が死ぬにはまだ早い、己を知り、世界を知り!! 強くなれロロノア!!!」
生死をかけた闘いの中にすらスポーツマンシップがあるのです。