楽しまなければ勝てない~世界と闘う“こころ”のつくりかた

2018年10月17日

成長し続けるために大事なこと 子どもにも、大人にも必要な"ふだんの生活"と"スポーツ"で「切り替える力」

サッカークラブや各種スポーツ団体を対象に「スポーツマンのこころ」と銘打つ講義で、一流アスリートになるための心得を伝え続ける岐阜経済大学経営学部教授の高橋正紀先生。ドイツ・ケルン体育大学留学時代から十数年かけ、独自のメソッドを構築してきました。

聴講者はすでに5万人超。その多くが、成長するために必要なメンタルの本質を理解したと実感しています。

高橋先生はまた、「スポーツマンのこころ」の効果を数値化し証明したスポーツ精神医学の論文で医学博士号を取得しています。いわば、医学の世界で証明された、世界と戦える「こころの育成法」なのです。

日本では今、「サッカーを楽しませてと言われるが、それだけで強くなるのか」と不安を覚えたり、「サッカーは教えられるが、精神的な部分を育てるのが難しい」と悩む指導者は少なくありません。

根性論が通用しなくなった時代、子どもたちの「こころの成長ベクトル」をどこへ、どのように伸ばすか。これから数回にわたってお送りします。「こころを育てる」たくさんのヒントがここにあります。
(監修/高橋正紀 構成・文/「スポーツマンのこころ推進委員会」)

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写真はイメージです。(C)三浦卓

■成長し続けるために必要な"ふだんの生活"と"スポーツ"で「切り替える力」

選手として成長し続けるためには、"ふだんの生活"と"スポーツ"を行き来するときの「切り替える力」が必要です。このことは、小学生から意識して教育してほしいと思います。

例えば、中学生や高校生の部活動。毎日、放課後は練習があり、週末は試合があります。そして、当然ではありますが、彼らはスポーツだけをやっているわけではありません。毎日授業があり、宿題や課題があり、試験もあります。彼らはその中で"ふだんの生活"(日常生活=学校・勉強・友達)"スポーツ(非日常生活=遊びの一種)"の間の行き来において、気持ちを切り替えて、さまざまなことに挑戦します。

(C)高橋正紀


今の季節であれば、高校であれば学校生活において文化祭などの行事があります。そのなかで仲間と協力してなにかをやり遂げ達成感を得たり、あるいはぶつかって嫌な思いをしたり、解決することで成長もします。

では、小学生はどうでしょうか。

サッカー(非日常生活=遊びの一種)をして帰ってくる。疲れているからといって宿題(日常生活の義務)もせずに寝てしまう。それではいけないのです。親御さんやコーチは「勉強(日常生活の義務)しなきゃダメだよ。サッカー(非日常生活=遊びの一種)だけやっていればいいわけじゃないよ」と言って聞かせます。しかし、勉強に対しての得手不得手がありますので、同じように勉強をしても全員が100点を取れるわけではありません。そこで私は、スポーツに対してと同じように「全力でやり切っての結果なら何点でも構わない」と話します。

全力でやりきったかどうかは、子ども自身が一番知っています。結果としての点数だけをみて「全力じゃない」と頭から否定することは決してしてはいけません。「オッケー。自分のためにベストを尽くす習慣をつけよう!」と言ってあげてください。

大人たちは「サッカーさえしていれば、勉強がおろそかになっても構わない」という空気を決して作ってはいけません。そういう空気は、子ども達を、勉強は頑張らずにサッカーだけ頑張るという楽な方向へどんどん流していきます。

写真はイメージです。(C)三浦卓

「サッカーのプロになりたいです」

多くのサッカー少年が描く夢です。
であれば「海外でプレーするなら、言葉を覚えなきゃいけないよね。それには勉強でベストを尽くして頑張れる力が必要だよ」と教えてあげてください。

勉強でベストを尽くして頑張れる力を身につける最適の場は、"ふだんの生活"である学校の勉強なのです。サッカーで疲れていても、もっとゲームをしたくても、テレビを見たくても、自分の夢のためなら切り替えられる。親であればそんな姿を目指してほしいと思うのが当たり前ですが、そこへの方向付けをしてあげられる大きな役目を持っているのは実は親なのです。

でも、上手く切り換えができずにダラダラしてしまう時もあると思います。そんな時に「何やってるの? プロになりたいんでしょ!」などと叱らず、こう言ってあげてください。

「ふーん。一流の人はさっと切り替えるけどね。まあ、いいわ。あなたの人生なんだから、自分で決めて。一流は言われてやるんじゃなくて、自分で決めてやってるらしいから」

そうなのです。自己決定できる人だけが、自己実現できるのです。最近の個人の幸福度に関する研究でも、個人の持つ幸福度の大きさは、現在の地位や収入よりも、自己決定(進学、就職など)で生きてきたかどうかの方により大きく関係していることもわかっています。

私の講演でよく紹介するのが、以下の3人です。

目の前の試合に勝てばそれでいいのか

1970年代、広島カープ優勝に大きく貢献したさせたゲイル・ホプキンス。プロ野球選手でありながら、引退後は整形外科医になりました。広島大学で実験を行ってから球場に来たり、練習の合間に医学書を読む姿が話題に。現在はオハイオ州で病院を開業しています。

1980年レークプラシッド五輪の男子スピードスケートで5種目を制覇したエリック・ハイデン(米国)も、整形外科医です。

そして、82年のW杯スペイン大会でジーコたちとともに「黄金の中盤」を形成したソクラテスも医師でした。ブラジル代表の伝説的な選手ですが、上記3人のうち残念ながら彼だけがすでに亡くなっています。

トップアスリートでありながら、学業でも優れる人たちは「スカラアスリート」と呼ばれます。欧米では珍しくありません。米国には学業とスポーツの両方に優れた生徒・学生を表彰する大小様々な制度が多数あるそうです。その結果なのでしょうか、米国の名門ハーバード大学からは、200人以上の五輪選手が輩出されています。ハーバード大学は日本でいえば東京大学のような位置づけなので、東大から五輪選手が多数生まれるようなものです。

日本と欧米で、なぜこのような違いが生まれるのでしょうか。私はここに日本と欧米の間の"ふだんの生活"と"スポーツ"で「切り替える力」の大きな差があると感じています。

残念ながら日本では「スポーツ(非日常生活=遊びの一種)を頑張っているのなら、勉強(日常生活の義務)は二の次でいい」と思われているからです。

この秋に最終回を迎えたNHK朝のテレビ小説『半分、青い』は、私の住む岐阜県が舞台でした。物語の終盤、ヒロインの娘さんにフィギュアスケートの才能があることが判明する。でも、娘さんは勉強が苦手そうです。するとヒロインは自分の娘に「もう勉強はしなくてもいい」みたいなことを言うのです。
これが、日本人のスポーツに対する見方の現実なんだろうと感じました。

スポーツができるのなら、勉強はできなくていい。目の前の試合に勝てばいい。そんな価値観を大人が子どもに伝えてしまうのは、子どもの持つ様々な可能性を軽視していると、私は考えています。個人の可能性の実現を重視し、"ふだんの生活"と"スポーツ"での切り換えに対するスタンダードを持つ欧米とは180度異なります。

米国の大学スポーツ全体を統括しているNCAA(全米大学体育協会)では、単位をとれない選手はどんなに優れた技能を持っていても絶対に試合に出られません。それが個人の人生全体を尊重しているNCAAの当然のやり方なのです。

スポーツ(遊びの一種)だけで人生をやり過ごしてきた子どもは、大人になって勉強(日常の義務)する習慣がないため、ある時点で途方に暮れてしまいます。

それが高校受験前か、大学受験のときなのか、就活か。それとも、プロになったあと引退してからなのか。それぞれに時期は異なりますが「もっと子どものときから勉強しておけばよかった」と話すアスリートは少なくありません。

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