楽しまなければ勝てない~世界と闘う“こころ”のつくりかた
2019年6月13日
「子ども天国だった」日本の子育て、教育現場に不幸な逆転劇が起きた原因
サッカークラブや各種スポーツ団体を対象に「スポーツマンのこころ」と銘打つ講義で、一流アスリートになるための心得を伝え続ける岐阜経済大学経営学部教授の高橋正紀先生。ドイツ・ケルン体育大学留学時代から十数年かけ、独自のメソッドを構築してきました。
聴講者はすでに5万人超。その多くが、成長するために必要なメンタルの本質を理解したと実感しています。
高橋先生はまた、「スポーツマンのこころ」の効果を数値化し証明したスポーツ精神医学の論文で医学博士号を取得しています。いわば、医学の世界で証明された、世界と戦える「こころの育成法」なのです。
日本では今、「サッカーを楽しませてと言われるが、それだけで強くなるのか」と不安を覚えたり、「サッカーは教えられるが、精神的な部分を育てるのが難しい」と悩む指導者は少なくありません。
根性論が通用しなくなった時代、子どもたちの「こころの成長ベクトル」をどこへ、どのように伸ばすか。「こころを育てる」たくさんのヒントがここにあります。
(監修/高橋正紀 構成・文/「スポーツマンのこころ推進委員会」)
■日本の子育てや教育現場に暴力(体罰)が持ちこまれた原因
日本は多様性の時代と言われながら、今も障害者への差別や偏見が根強いですね。しかし、江戸時代までは水頭症や知能の遅れのある障害児のいる家は栄えると言われていました。
前回お伝えしたように「子ども天国」だったのです。
歴史学の書物や記録には、子どもが大人にかわいがられて育っていた記述が多くありますが、それを残したのは子どもが罰を与えられる存在だった欧州の人たち。彼らによって、日本の子どもが「自由を与えられ、愛される存在」であることが驚きをもって伝えられたのでした。
英国が少し前に体罰禁止を発表したとき、日本の著名な教育評論家の方々は「さすが、教育先進国のイギリスだ」と讃えました。
が、同国の教育現場では近代まで壮絶な暴力がはびこっていました。
では、江戸時代まで子ども天国だった日本の子育てや教育現場に、なぜ暴力(体罰)が持ち込まれたのでしょうか。
ロシアの教育史の専門家、カドリーヤ・サリーモアは次のように記述しています。
「体罰は、明らかに(明治時代の)西欧の教育理論への熱中の最中に、日本の学校に導入された」
明治時代。日本は、西洋信仰の高揚とともに、軍隊教育を欧米から輸入してしまったのです。
明確なスタート地点は、日露戦争のころだといわれています。
戦前の軍国主義の時代に、軍隊で体罰が当たり前だったのはみなさんもご存知のとおりです。軍国主義は、根性主義に姿を変え、スポーツの現場を侵食していったわけです。
■オシム元日本代表監督が嫌った「笛」の多用
そのとき、欧州ではすでに暴力を排除する動きが生まれていました。大戦後のドイツなどは、自国と世界を戦争に巻き込んだヒットラー色を一掃するため、子どもの指導現場での笛の使用や隊列を禁止しました。
中世から暴力で子どもを制圧するという悪しき習慣を日本に伝えた欧州各国は、時間差こそあれ次々と暴力から脱却しました。
ところが、真似をした日本にそのブラックカルチャーが残ってしまった。つまり、日本にとって非常に不幸な逆転現象が生じたわけです。
例えば、ユーゴスラビア解体やボスニア内戦など壮絶な経験をしている元日本代表監督のイビチャ・オシム氏は、トレーニング中に日本のコーチが笛を多用することをとても嫌いました。
「サッカーのコーチはポリスマンじゃないんだから」と眉間にしわを寄せ難色を示したそうです。
このように、欧州の人たちは教育観をガラリと変え新しい時代を創造しています。一方の日本は、小さな子どもを教えるときでさえ笛を使うことに何の抵抗もない方のほうが多いと感じます。
「笛の何が悪いんだ」と思われるかもしれません。でも、「笛」はサッカーは教えられるものという誤解を生み、命令されることに抵抗がなくなります。そして、何より子どもを委縮させ、自由を奪うものです。
■「わかっているから」で動かなければ状況は変わらない
私事ですが、大学サッカー部の総監督を務めながら、今年度から野球部の部長を兼任しています。新1年生に入学早々「一流のスポーツマンのこころ」の講義を受けてもらいました。彼らからの感想は、非常に中身の濃いものでした。
「自分で決めて、自分から取り組むことが、どれだけ大切かに気づけた」
「スポーツは非日常だから、日常の勉強への取り組をもっと大事にしたい」
講義を理解し、共感している内容ばかりでした。
18歳とまだ若いためか、彼らは知ったふりをしません。これが大人になると「もうそういうことはわかってますよ」といった顔をされることは少なくありません。少々深読みすると、「もうみんなわかっているから。ここはそっとしておこう」いうことだと感じます。
蓋をしてそっとしておけば、改革は進みません。
よって、前回でふれたように市立尼崎高校のように、バレーボール部に不祥事があったため調べたら、校内でいくつもの部活動に暴力指導が見つかるわけです。これは、2013年1月にバスケット部男子部員の自殺を機に多くの部に暴力が発覚したときの大阪市立桜宮高校とまったく同じ状況と言わざるを得ません。
元高校バレー部員の卒業生に尋ねたら、「(市立尼崎バレー部の)10発は実態より少ないと思う。僕は血だらけになって体育館を何周もするくらい殴られ続けました」と言うのです。要するに、殴られながら後ろに歩きながら体育館をぐるぐるまわり続けるというのです。
子どもの時からバレーボールしかやっていない。小中高と、ずっと似たような暴力指導で育ってきた彼は、主体的になにかできるように自分が育っていない。小さなバレーコートの中での価値観だけで生きてきたことに、少しずつ気づき始めているようでした。