弱小チームのチカラを引き出す! 暁星高校林義規監督の教え
2015年1月 3日
38年間でひとつだけわかったことは、わからないということ
※本稿は、『弱小校のチカラを引き出す』(著者・篠幸彦、東邦出版刊)の一部を転載したものです。
あなたの子どももサッカーを続けていれば通る道!? 高校サッカーのリアルがここにある。弱小校の子どもたちの力を引き出し、暁星高校サッカー部を全国出場に導いた林義規監督を追うルポルタージュ。短期集中連載、最終回。(取材・文 篠幸彦)
■俺はまだ辞めねえ
後日、監督と並んで座り、練習を見ていた。暁星高は選手権の都大会2回戦で負けてしまった。新チームになってまだ5日目だった。
「下手なんだよなぁ」
林監督が独り言のようにボヤいている。目の前では生徒たちがダイレクトのパス交換をしていた。
「俺はさ、そんな大したことやってないんだよ。こうやって朝から晩まで子どもらを見てさ、『あぁ、こいつこんなことまでできるようになったんだな』とか、『こいつはもっとこうなればいいんだけどな』とかさ。その繰り返しなんだよ。ただ、やっぱり下手だよなぁ」
38年、一筋に子どもたちの成長を見守ってきた。その傍ら、JFA理事や2種大会部長、高円宮杯委員長を兼任している。高体連技術委員長や東京都サッカー協会理事、国体の東京選抜や日
本高校選抜の監督も歴任してきた。見てきた子どもたちは数え切れないほどいる。
「最近よく聞かれんだよ。『先生、辞めちゃうんですか?』って。俺はまだ辞めねえ。あと5年はやるつもりだよ」
■なにをもって良い指導者なのか
定年を迎えてもなお、現場への熱は冷めることがない。
「誤解がないように言うけどよ。大したことやってねえんだけど、いい加減にやってるわけでもねえんだ。でも、子どもらはここで人間としても、サッカーマンとしても完成とかゴールじゃねえじゃん。それを勘違いする人間ってのがいるんだよな。なにをもって良い指導者なのかってことだ」
学校の教員でもそうだよ、話しながらも林監督の視線は子どもたちから離れない。
「例えば40人のクラスを持っているとするよ。39人が『こいつ嫌いだよ』って、『こいつの言うことは聞きたくねえ』と。でもその中に『俺はこの先生には従おう』って、そんなやつがたったひとりでもいたら、俺はその先生は良い先生だと思うんだよ。
この仕事はさ、全部が全部、アベレージでやるようなもんじゃない。それはサッカーの育成年代の指導者も一緒だと思う。色んな指導者がいて当たり前だし、どんな指導するかなんてまちまちだよ。そいつの中にはたくさん理由があって、一言では言えねえ。人間は複雑だから全部がひとつで成し得てないわけだよ。だから大したことねえって言ったのは、特別じゃねえってことだよ。ここで人生が終わるわけじゃねえしな」
■「あとはこっち」それで止めちゃったんだ
少し間が空き、監督はなにかを思い出していた。
「ある日の朝にさ。朝練の前にポツンと校門のところに立ってるやつがいたんだ。俺はそれを見てすぐにわかった。そいつは3年生のときにサッカー部を辞めたOBだったんだよ」
その人は監督の何気ない一言をきっかけに辞めてしまったそうだ。
「そいつは1年の頃から使ってて、2年でも登録メンバーに入れて、3年のときには主力として期待してたわけ。それである日の練習で、レギュラー組とそうじゃない組と分けるときに、レギュラーのやつらの名前を呼んで、そのときにそいつは名前を呼ばれなかったんだ。それで呼ばれなかった子らは『あとはこっち』って言ったんだよ。そいつはそれがすごく悔しかったらしくてさ。それで辞めちゃったんだよ。でもそいつは決していい加減にやってたわけじゃない。でも辞めちゃったんだ」
高校生の繊細なプライドは、その一言で砕けてしまった。
「そいつは勉強もできた子でさ、東大を目指してたんだ。現役で上智には受かるんだけど、東大に受かるためにサッカー部を辞めたんだからって一浪するんだよ。それでも東大には合格できず、上智に行くんだ。だけどそのあとは立派なところに就職できた。そこで10年勤めて、会社で色んなことがあってやっとわかるんだよ。あのときの壁は乗り越えなきゃいけなかったんだって。でも乗り越えられなかったんだよ、ずっと。それがわかったから7時に朝練に行けば俺に会えるって、それで校門の前に立ってた。でも俺の顔を見て飛び込んで来れなかったんだよな」