[いつでも、だれでも、ずっとサッカーを楽しむために]JFAグラスルーツ推進

2019年10月30日

選手だけでなく家族も笑顔にする力がある。「アフィーレ広島」代表が東大病院をやめて地元にクラブを作った理由

日本サッカー協会(JFA)技術部の松田薫二グラスルーツ推進グループ長が、あなたの街のサッカーチームを訪ね歩く、この連載。

今回訪れたのは広島県です。障がい者サッカーのクラブ『A-pfeile(アフィーレ)広島』は、アンプティサッカー、ブラインドサッカー、電動車椅子サッカーのチームを持っています。アフィーレの創設者であり、広島県インクルーシブフットボール連盟の会長を務める坂光徹彦さんに、障がい者サッカーにかける想いを聞きました。
(取材・文・写真:鈴木智之)


写真はサカイクキャンプ

<グラスルーツ推進6つのテーマ>

■選手たちはサッカーを楽しむ1人のアスリート

松田:アフィーレ広島さんは、JFAのグラスルーツ推進・賛同パートナー制度ができた当初から、パートナーとして申請してくださいましたよね。現在はアンプティサッカーブラインドサッカー電動車椅子サッカーの3種目のチームをお持ちで、複数の障がい者サッカーのカテゴリーのチームをひとつのクラブが持っているのは、世界的に見ても珍しいと思います。坂光さんはクラブの代表と、広島県インクルーシブフットボール連盟(HIFF)の代表もされていますが、どのようなきっかけで障がい者サッカーに関わるようになったのでしょうか?

坂光:私は広島の福山市出身で、大学卒業後、東京の東大病院で理学療法士をしていました。東大のリハビリの教授が小児整形の専門で、奇形や先天的な障がいのある子ども達の手術、義足などにも精通されていたこともあって、偶々義足の勉強会に行くことになってですね。そこで、日本で初めてアンプティサッカーのチームを立ち上げた義肢装具士の方を紹介して頂きました。今はもうチームはありませんが、『FCガサルス』の齋藤拓さんという方です。

松田:FCガサルスは日本初のアンプティサッカーのクラブですよね。それはいつ頃ですか?

坂光:2011年だったと思います。一度、FCガサルスの練習を見に行かせてもらいまして、衝撃を受けました。最初は「障がい者がやるサッカーってどんなものだろう。何か手伝えることはあるかな」という気持ちで行ったのですが、障がい者というよりはサッカーを楽しむ一人のアスリートだったんですよ。プレーも激しいですし、何よりとても楽しそうにプレーされていたんです。

松田:アンプティサッカーは元々アメリカの負傷兵のリハビリの一環として始まったと聞いていますが、一度見た方はわかると思いますが、すごい迫力でぶつかり合ったり、片足で走り回ったり、ほんとに激しいスポーツですよね。

坂光:当時、彼らは普通にサッカーをしているアスリートなのに、トレーナーもおらず、ウォーミングアップもあまり良いものをしているとは言えませんでした。片足でプレーするにあたって、すべき準備トレーニングなどがまだまだ知られていないと感じて、彼らのトレーニングを見た瞬間に、やりたいことがたくさん浮かんできました。

松田:それですぐに、アンプティサッカーのトレーナーをするようになったのですか?

坂光:はい。医学的なリスク管理も必要で、チームに医療職の人間がいた方が良いと思ったのもあって、「やらせてください」とお願いしました。当時はアンプティサッカーのチームが日本にはFCガサルスしかなかったので、競技としてどこまで発展するかはわかりませんでしたが、選手たちが楽しそうにプレーしているのを見て、長く続けるためにはトレーナーがいた方がいいだろうと思い、それまで関わっていたアメフトのチームを辞めて、アンプティサッカー一本になりました。


A-pfeile(アフィーレ)広島代表であり広島県インクルーシブフットボール連盟の会長を務める坂光徹彦さん

 

■これだけ魅力がある人が集まっているのだから、もっと広めたい

松田:2010年のブラジルワールドカップに出場した最初の日本代表チームはFCガサルスが中心になっていたようですが、坂光さんも帯同されたのですか?

坂光:私は2012年のロシアワールドカップの時に、日本代表のトレーナーとして参加しました。成績としては、勝利はできなかったものの、勝ち点は取ることができたので、2010年の全敗からは一歩前進したと思っています。でも、もっとできると思っていたんですよね。今後、ワールドカップで結果を残すためには、競技人口を増やすことが大切だと感じました。

松田:パラリンピック種目であるブラインドサッカーはだいぶ知られてきましたが、陸上や水泳等に比べるとまだまだでしょうし、障がい者サッカーはやっている場が少ないので、かなり認知度が低いですよね。

坂光:そうなんです。競技人口を増やすためには、選手の受け皿となるクラブが必要です。私の出身地、広島にはアンプティサッカーのクラブがなく、仮に広島の人がやりたいと思っても、九州など遠方に行かなくてはいけません。広島でアンプティサッカーができないのであれば、例えば広島に障がい者の陸上クラブがあれば、陸上をやってみようかなと思うのは当たり前のことで、これだけスポーツとしてもやってる選手たちにも魅力があるアンプティサッカーを、出身地の広島でも広めたいと思い、地元の知り合いに声をかけてスタートしました。

松田:それでアフィーレ広島を立ち上げたわけですね。広島に選手はいたのですか?

坂光:一人もいませんでした。ですが、選手が集まってからチームにしようとしても、絶対に集まらないと思ったので、九州と関西の選手に協力してもらって、広島で練習する機会を作りました。テレビや新聞が取材してくれて、それを見た選手から連絡が来たところから、チームがスタートしました。

松田:その頃は東京で働いていましたよね?

坂光:はい。東京大学病院に理学療法士として勤務していました。ですが、広島にクラブを作るにあたって、東京から遠隔でチームを運営する事の難しさを感じたので、思い切って広島に戻り、チームを立ち上げました。それが2013年の8月です。今は広島大学病院で理学療法士をしています。

 

■選手だけでなく家族も笑顔にする力がある

松田:最初はアンプティサッカーから始めて、ブラインドサッカーや電動車椅子サッカーなどカテゴリーを増やしていますが、なぜ種目を増やしているのでしょうか?

坂光:アンプティサッカーのチームを始めて感じたのですが、同じ障がいを持った選手たちが集まってくるので、そこにコミュニティができるんですね。アンプティサッカーは上肢、下肢を切断した選手がするスポーツです。それまで健常者として過ごしていた人が、事故や病気で腕や足を失うという経験をされています。切断してから、サッカーができる状態になるまでには、肉体的にも精神的にも大変な思いをされています。

松田:普段、日常の中で上肢または下肢切断の人に出会う機会は多くありませんが、アンプティサッカーのチームに入ると、同じ境遇の人がいるわけですね。

坂光:そうなんです。それは、選手を支える家族も同様です。選手だけでなく、家族同士も同じ境遇の人と出会って話をすることで笑顔になる。それがスポーツの持つ力だと思っています。それで、最初はアンプティだけだったのですが、違う障がいの人のサッカーがあってもいいんじゃないか。スポーツの選択肢が増えるのは意義があるのではないかと思い、多くの人の協力のおかげもあって、2015年にブラインドサッカーのチームができて、その後に電動車椅子のチームができました。今では、すべての障がい者サッカーのカテゴリーのチームをアフィーレで作りたいとい思っています。


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