[いつでも、だれでも、ずっとサッカーを楽しむために]JFAグラスルーツ推進
2021年11月24日
「私はサッカーをしに来ている!」とある女子チームの指導者を我に返らせた子どもたちの声
「JFAグラスルーツ宣言」に賛同するチームを認定し、つながりを作ることで、グラスルーツの環境改善を目指すJFAグラスルーツ推進・賛同パートナー制度。引退なし、補欠ゼロ、障がい者サッカー、女子サッカー、施設の確保、社会課題への取り組み、という6つのテーマに、それぞれ賛同するチームが認可を受けています。
今回グラスルーツ推進グループの松田薫二さんが訪れたのは、埼玉県桶川市にある桶川クイーンズ少女サッカークラブ。代表の築根英樹(つくねひでき)さんが、娘さんが中学に進学した時に女子サッカーチームがなかったことをきっかけに、裸一貫で立ち上げたチームです。その苦労や信念を聞きました。
(構成・文:中村僚)
後編:「人生を豊かにするための手段としてサッカーがある」グラウンドをイチから手作りした女子サッカーチームの展望>>
■パートナー認定がチームの誇りになった
松田:JFAグラスルーツ推進・賛同パートナー制度に応募した動機を教えてください。
築根:きっかけは、自分のチームにアピールになればいいと思いました。チームのカラーをどこで出せばいいのか悩んでいた時期があり、例えば大会で結果を出すチームは、それ自体はチームカラーになると思いますが、私はチームに強さを求めていませんでした。地域への貢献や、選手が楽しむことができる環境があることの方が大事だと思っていたのです。
そんな矢先にJFAのHPを見て、「こんな素晴らしい活動があるのか」と思って、ダメ元で応募してみました。なぜダメ元だったかというと、企業でもなければスポンサーがついているわけでもなく、同好会に近い状態だったからです。それでも「やってみなければわからない」と思って応募したところ、認定の連絡をいただきました。JFAから承認をもらっていることは本当に大事で、選手の保護者にも説得力を持たせることができますし、何よりチームの誇りになります。認定証は練習グラウンドの倉庫に貼り付けてあります。
松田:「誰もがいつでもどこでも楽しめるサッカーの環境を作っていきます」というグラスルーツ宣言のもとに始めた認定制度ですが、スポンサーの有無や企業かどうかは重要視しておらず、その宣言のような活動をされているチームに認定許可証を発行しています。
築根:このチームが認定をもらえたことは、まわりのチームにもいい影響があると思っています。そんなに人数がいるわけでもないですし、強いわけでもありませんが、そんなチームでも活動している意味があると示すことができれば良いな、と。
松田:まさにそういうことが起きれば良いと思っていました。ひとつのチームだけの活動では、他の地域やチームの活動があまり見えてきません。いろいろなチームやクラブが交流できる場になれると良いと考えています。
築根:このクラブのスタートは私と娘の2人だけでした。もちろんそれを威張りたいわけではないのですが、私が苦労した経験は他の方に伝えることで活きることがあると思います。僕と同じように裸一貫でクラブを作り上げてきた人にグラスルーツ推進・賛同パートナーのことを伝えると、「僕もやってみたい」という人は多いです。
■「私はサッカーをしに来てるのに」子どもたちの声で我に返ったことも
松田:娘さんと2人でクラブを始めたということですが、そこからどのようにクラブを大きくしていったのでしょうか。
築根:最初は娘の同級生を誘いました。ただみなさん他の習い事をしていて、サッカーの練習があっても送迎ができない、あるいは他の習い事とスケジュールの調整ができない、ということでなかなか集まりませんでした。それでも他の習い事と被らないように練習の日程を調整して、最初のうちは月謝もとらず、まずはとにかく人に来てもらうところから始めました。
それと同時に、グラウンド作りもしていました。2013年の4月から作り始めて、完成したのが7月頭です。そして7月20日に活動をスタートさせました。最初は10人くらい集まりましたが、翌週は5人、その翌週は3人と、徐々に減っていきました。厳しかったですね。
そんな状況でしたけど、始めてしまった以上は途中で投げ出すわけにもいかないので、地道に活動を続けていました。私は常々娘に「やる前から諦めるな」と言っています。その姿勢はまず自分が示さないといけない。あの時に諦めずに地道に活動を続けることで、娘にそれを見せたかったんです。
ただやはり現実は厳しくて、とてもサッカーができる人数は集まらず、フットサルの大会に出ようかと考えたこともありました。それを子どもたちに言ったら、「私はサッカーがやりたくて練習に来ているのになんでフットサルなの?」と言われたんです。私はハッとして、「まだやれることをやりきっていない」と思い知らされました。そこからHPを作ったり、チラシ3000枚を配ったりして、なんとかサッカーができる環境を整えようと動きました。当時の経験は今でも子どもたちに話します。
そうやって動いていれば、自然とその姿を見てる人が手伝ってくれるんですよね。当時の子どもたちの親で一緒に人集めに参加してくれた方もいますし、審判資格やコーチングライセンスをとってくれた方もいて、自分の子どもが卒業した後もクラブに関わり続けてくれる人もいます。私も自分がクラブの立ち上げ人になった以上は、娘が卒業した後も関わり続けたいと思っています。