中村憲剛の「KENGOアカデミー」

2020年10月14日

サッカーがうまい選手とは「自分にできないことを認めている人」

中村憲剛選手が、これまでのサッカー人生で培ってきたサッカーがうまくなるヒントをお届けする「KENGOアカデミー」。第四回となる今回は「自分を客観視する」ことの大切さについて、憲剛選手に話をしてもらいました。
 
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■ドリブルがうまい=サッカーがうまい?

“サッカーがうまい選手”と言われて、みなさんはどんな選手を思い浮かべますか? ドリブルで何人も抜いていくような選手でしょうか。1本のパスで決定的なチャンスを演出する選手でしょうか。あるいは冷静な読みで相手のチャンスをつぶす選手でしょうか。
 
正解は全部です。
 
サッカーというスポーツはさまざまな要素が絡み合っています。だから、ドリブルができる選手が11人いても強いチームにはなりません。守備ができる選手がいて、パスをつなげる選手がいて、仕掛けられる選手がいる。そうした役割分担があって、強いチームになります。
 
サッカー少年・少女の多くは、華麗なドリブルで何人もかわせる選手に憧れます。今でいえば、リオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウド、ネイマールなどでしょうか。
 
今のプレースタイルからは想像がつかないかもしれませんが(笑)、僕も小学生の頃はバリバリのドリブラーでした。背は小さかったけど、すばしっこくて、ゴールもたくさん決めていました。5年生のときには全国大会にも出場して、地元ではちょっとした有名選手だったんです。
 
当時の僕はこう思っていました。ドリブルもできて、シュートも決められて、パスも出せる。「僕は何でもできる選手だ」と。
 
だけど、中学校に上がると、「何でもできる選手」だったはずの僕は、「何にもできない選手」になっていきます。一番のネックになったのは身長が伸びなかったこと。中学入学時点で136センチしかなくて、チームの中でもすごく小さい方でした。
 
しかも、新しくできたクラブチームに入ったので、メンバーは僕たち1年生だけ。対外試合になると、自分より上の学年で、20~30センチも身長差がある相手と戦わなければならなかったんです。もう、ほとんど大人と子どもの試合です。
 
ドリブルで抜こうとしてもつぶされるし、足の速さでも勝てない。自分が得意だと思っていたプレーがことごとく通用しないという現実を突きつけられました。
 

■自分に「できないこと」を認める

しばらく落ち込んで、サッカーを辞めようかとも思ったぐらいですが、この時間が、僕に大きな気づきを与えてくれました。それが、人には「できること」と「できないこと」があるということです。自分のチームメートを思い浮かべて下さい。みんな一人一人、骨格はもちろん、足の大きさや指の長さだって全員違うはずです。そうなれば、得意なプレーと不得意なプレーはそれぞれに変わってきます。
 
プロ選手にも様々なタイプがいます。全員が全員、メッシやロナウドやネイマールである必要はありません。彼らをパスで生かす役割や、守備面で支える役割の選手も必要です。
 
僕は足が遅かった。身体も小さかった。
 
それだったら、自分で抜いてゴールを決める選手じゃなくて、味方に良いパスを出す選手になろう。そうやって、プレースタイルを変える決断をしました。もしも、「点取り屋のドリブラー」であることにこだわり続けていたら、プロになることなんてできていなかっただろうし、普通の選手で終わっていたはず。
 
「中村憲剛」という選手はドリブルで何人も抜くことも、空中戦で相手を跳ね返すこともできません。だけど、僕はプロサッカー選手として18年もやってきて、日本代表にもなれました。それは自分の「できないこと」を知って、「できること」を伸ばそうとしてきたから。
 
自分に「できないこと」があるのを認めるのは勇気がいると思います。誰だって、何でもできる選手に憧れるし、そうなりたい。だけど、そうなれないときにどうするか。自分を客観視すること。これは上のレベルに行くためには絶対に必要なことだと思います。
 
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