汗の分だけ、成長できる

2015年3月10日

自分たちで考えて練習した小学生時代

サッカー界の第一線で活躍する選手や指導者の方に、ご自分の少年時代に汗をかいて努力した思い出やその経験を通して得たものについて語って頂く連載企画『汗の分だけ、成長できる』。今月より毎月1名の選手や指導者の方へのインタビューを通してそれらをお伝えして行きます。記念すべき第一回は、かつて1998年のフランスワールドカップにも出場したサッカーの元日本代表、現在はプロのサッカー指導者として活躍する山口素弘さんです。(取材・文/杜乃伍真 写真/平間 喬)
 
 

■子どもの頃は「俺が、俺が」というタイプ

――サッカーを始めたきっかけを教えてもらえますか?
 
「兄が先にサッカーを始めていて、その練習や試合についていって誘われたのがきっかけです。それまでは野球やソフトボールなどいろいろなスポーツをやっていたのですが、小学4年生になるときに地元群馬の高崎西サッカー少年団に入団して本格的にサッカーを始めました。市のチームだったので指導者は市職員だったし、練習や試合は土日だけ。そのうち物足らなくなって学校の友だちとボールを蹴るようになりましたけれど、当時はJリーグもまだなかったので、明確に目指す目標はありませんでした」
 
――どんなサッカー少年だったのでしょう。
 
「ひと言でいえばサッカー馬鹿ですね(笑)。毎日サッカーばっかり。一人のときもブロック塀にゴールを描いてボールをひたすら蹴って練習していました。あまりうまくない子にも『なにやってるんだよ!』とか指示を出したりする、『俺が、俺が』というタイプですよね。ポジションもフォワードをやったり、ディフェンスをやったり。相手が強いチームの場合はよく最後方でディフェンスをやったのですが、それでも6点くらい獲られてしまうようなあまり強くないチームでした」
 
――当時から、どうせやるなら上までいきたい、という気持ちはあったのですか?
 
「そんなにはっきりした思いはありませんでした。ただ、毎日サッカーをするのが楽しかったんです。当時、週一回テレビで放送されていたサッカー番組『三菱ダイヤモンドサッカー』を通じて、マラドーナやジーコ、ケンペスやプラティニといった選手たちの映像を食い入るように観ていました。ケビン・キーガン(元イングランド代表)なんかも好きな選手の一人でした。古いですねえ(笑)。中学生になった頃には、ワールドカップに出たい、あの選手のようになりたい、その一心で練習に励んでいましたね」
 
――子どものころにワールドカップを観て、あの舞台に立ちたい! と思ったんですね。
 
「純粋だったということです(笑)。段階的に、プロになって日本代表になってワールドカップへ、という話ではなくて、ただ単純に、『ワールドカップ』と聞くとワクワクするような思いがありました」
 

■自分たちで考えながら練習していた

――サッカー少年だった当時、これは努力したということは?
 
「小学生のときに一度、試合中に蹴られてふくらはぎの裏の骨にひびが入ったことがあるんです。二カ月くらいギプスをしていたので、外したら脚がすごく細くなっていた。それが嫌で、自宅の近くの山道をひたすら登ったり降りたりしながら毎日走っていました。走ったり、筋力トレーニングをしたりするのは嫌いではなかったですね」
 
――その後中学へ進学し、高校は全国屈指の強豪の前橋育英高校に進むわけですね。
 
「中学3年生のときに群馬県大会で優勝しているんです。ただ、中学校の部活動は1年生の頃は球拾いばかりで全然おもしろくなかった。だから18時くらいまで部活動で球拾いをやって、そのあとに1年生だけで公園に集まってミニゲームをやっていました」
 
――1年生だけで!?すごい行動力ですね。
 
「どうすれば楽しくサッカーをして毎日を過ごせるか、そのことばかり考えていました。というのも僕らの部活動には指導をしてくれる先生がいなかったから、すべて自分たちでメニューを考えなければいけなかったんです。2年生の秋に新チームになって自分たちが一番上の学年になったときは、自分たちで練習メニューを考えて、自分たちで試合のメンバーを決めて戦っていました」
 
――自分たちで自分たちのことを律して活動するのはすごく難しいと思うのですが。
 
「単純にサッカーがうまくなりたいという気持ちが強かったこと、それがベースにあったと思います。とにかく試合に負けたくなかった。自分たちを律するというよりも、単純にサッカーに向き合う時間が本当に楽しかったんです。そして試合に勝たないと楽しくないからがんばれるわけです」
 
――当時から“負けず嫌い”だったと自負しますか?
 
「唯一、自分を表現できるのがサッカーだったから、サッカーで負けるわけにはいかないという思いはありました。野球の場合、自分が待っている絶好球をサインの関係で見逃さないといけないときもあって、野球自体はおもしろおもしろかったのですが、ちょっと自分には消化不良なところもありました。ところがサッカーには思う存分自分で判断して、のびのびプレーできる環境があったんです。入団した当時のきっかけを思い起こせば、兄のサッカーについていってグラウンドでボールを蹴っていたとき、少しだけコーチの人に教えてもらって、それを自宅に宿題として持ち帰ったんです。そして週末に自分なりにアレンジして練習を繰り返して、次の週に同じコーチの人に練習の成果を見てもらったらすごく褒められたんです。それがすごくうれしくて、自然とサッカーにはまっていきましたね」
 
――いまは指導者の立場になりましたが、子どもが成長するには自分自身で判断したりアイデアを出したり、という作業はやはり大事だと感じますか?
 
「そうですね。その判断の結果がうまくいくかどうかは別として、自分で判断したうえで失敗や成功を経験することがとても重要だと思います。人に強制されて実行に移したことは、いざ失敗したときにその人のせいにできてしまう。逆に、自分で判断する以上、必ず責任が伴います。その責任感が出てくると子どもはどんどん成長していきます」

 

 

■ポカリスエットを飲むのが楽しみだった

子どものころからさまざまな努力を重ねてきた山口さん。今回のインタビューは『努力して汗をかいた分だけ、成長できる――』というテーマのもとに話を伺ってきましたが、最後に、子どものころのポカリスエットにまつわる思い出を語ってもらいました。
 
「僕が子どもの頃は、練習中は水を飲んではいけないという古い考え方でしたから、喉を限界まで枯らせてから水を飲んでいたのですが、ポカリスエットが発売された当初は本当にびっくりしました。『なんだこの美味しい水は!?』という驚きがありました。ポカリスエットにはプラスティック製の専用の入れ物があって、それを持ってくるチームメイトはいつも英雄だったんです(笑)。その入れ物を保温するためのカバーがあって、それを親に買ってもらったときは嬉しかったことを覚えています。ポカリスエットを冷凍庫で冷やして、それをバッグに忍ばせて、グラウンドへ持っていくんです。夏場はポカリスエットを飲むのが楽しみで練習していたようなところもあったかもしれません」
 
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