汗の分だけ、成長できる

2015年6月25日

「一度折れて這い上がることに慣れていた方が強くなれる」中村憲剛

サッカー界の第一線で活躍する選手やコーチに、少年時代に汗をかいて努力した思い出や当時の経験から得たものについて語ってもらう月一連載企画『汗の分だけ、成長できる』。第4回となる今回は、日本屈指のゲームメーカーである中村憲剛選手の登場です。(取材・構成/竹中玲央奈 写真/武山智史)

■試合のときはいつもポカリスエットだった

――中村選手がサッカーを始めたのはいつ頃なのでしょうか。
小1ですね。母親がほかの友だちの母親と話していて、そこでみんなでサッカーをやらせようと。そういうことで府ロクに入りました。ボールを蹴るのが好きな子どもだったらしくて。いつの間にかやっていたという感じですね。投げるより蹴るという感じの子だったみたいで。
――中村選手がサッカーをしていた頃は、練習中の水分摂取には制限があったのでしょうか。
ぼくたちのころはこまめに水分補給をするっていうのはあまりなかった。練習が終わってから、水を飲んでこいみたいなことは言われていましたね。練習時はグラウンドの水道の蛇口で飲んでいた記憶はあります。ただ、試合はそうは行かないので、そのときはポカリスエットでした。
――小学生のころは、校庭でサッカーをしていたのですか?
そうです。府中六小の校庭です。東京の大きな大会になると、飛田給にある関東村というところで試合をしていました。東京のサッカー少年にとっては聖地みたいな場所なんですけど、そこで朝から晩までやっていた。そのときは水筒を持って行っていました。
――それをハーフタイムに飲んでいたのですか?
ハーフタイムは、当番のお母さんたちがコップに冷たいポカリスエットを入れて持ってきてくれるんですよ。タンクにポカリスエットが入っていて、飲み過ぎると怒られる(笑)「次の人の分が無くなるでしょ!」って(笑)
――よくある光景ですね(笑) 中学時代はどうでした?
まず、水筒を持って行っちゃいけなかったです、中学は。放課後そのまま練習でしたから。なので、試合のときに自分で買っていました。練習の時は水道水ですよ。厳しくなかったから自由に飲めた。クラブチームを半年でやめて、半年間サッカーをやってなくて。中2からは自分の通っている中学校の部活に入ったけど、そんなにつよくなかったから水分補給に関してはフリーというか。(水分補給に関しては)ダメとかいいとかそういうのもなかったなと。高校のサッカー部にはマネージャーがいて、ドリンクを作ってくれました。スクイズボトルにポカリの粉を入れてピッチに置いてくれていました。
――練習でもポカリスエットを飲めたのですか? 羨ましいです。
いや、そこは部費との兼ね合いだったと思う(笑) 試合の時はポカリスエットでしたね。
――ほとんどの人が、ポカリスエットを選びますよね。
ポカリスエットは誰も疑わないでしょ。"ポカリだから"みたいな安心感。試合のときもそうだし、体調が悪くなったときも水分を摂れと言われたらポカリでしょ、みたいなことがある。これを飲んでおけば大丈夫、という気持ちがある。だって、みんな細かな成分とか知らないでしょうし、これを飲んだことによってどうなるかとかは知らないでしょう(笑)
だけど、甘くて美味しくて、みんなが良いと言っているから飲む。でも、それでいいんじゃないかな。小さい頃からお世話になっています。風邪を引いたときもそう。日本人のDNAに刷り込まれているレベル(笑)。

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