汗の分だけ、成長できる

2015年7月29日

「好きなことを積み重ねた時間が、人を育てる」日本代表GK・川島永嗣

サッカー界の第一線で活躍する選手や監督、コーチから少年時代に汗をかいて努力した思い出や当時の経験から得たものについて語ってもらう連載企画『汗の分だけ、成長できる』。日本代表の守護神、川島永嗣選手が登場した前回は、水分補給にまつわる思い出や、高校時代の栄養管理へのこだわりなどを話してもらいました。後編となる今回は、堪能と知られる語学の習得方法や読書の大切を中心に語ってもらいました。(取材・文 杜乃伍真 写真 平間 喬)
 
 

■プロになるためにどうすればいいかを考え続けた高校時代

――川島選手がこれまで一番努力した時期はいつ頃でしょうか。
 
一番は浦和東高校に進学してからです。とにかく練習しました。朝練はやりたい選手だけやるというものでしたが、誰よりも早く行ってやっていましたし、授業が終わって夕方からチームで練習をして19時くらいには終わるので、それからまた一人居残りで22時くらいまで練習をしていました。
 
――当時は一人、誰もいないグラウンドで居残り練習をするなかで「フォワード上がれー!」と大声で指示を出しながらイメージトレーニングをしていたそうですね。顧問の先生に「電気代がもったいないから早く帰れ」と言われたとか。
 
そういう事もありましたね(笑)。自分はプロのサッカー選手になりたかったし、高校選手権で全国優勝したいという大きな夢もありました。その目標に向かって自分がどう工夫すればいいかは高校時代に学んだと言えます。自分が何を食べればいいのか、どう水分補給をすればいいパフォーマンスに繋がるのか、いろいろなことに興味があったし、自分で工夫をしながら練習をしていたんです。
 
弁当の中身についても、自分なりに栄養などを考えて母親に要求していました。弁当の中身に不満があるときは「なにこれ?」って怒っていました。いま考えると嫌な子どもですよね(笑)。けど、それくらい一生懸命だったんです。そういった気持ちを汲んでくれていたのか、母親もぼくの要求に答えようとしてくれていた。本当に感謝しています。
 
水分補給についても同じで、いいパフォーマンスをするために、どのくらいの量を摂取するか、ポカリスエットがいいのか、それとも水がいいのか、などつねに試行錯誤していました。そうやって導き出した答えのすべてが正しかったわけではありませんが、自分で考えることは習慣になっていたと思います。
 
――考えるためには知識が必要だと思います。どのように知識を得ていたのですか?
 
当時は本を読むことはあまりなかったけど、周りにいる先生や、いつも通っていた接骨院の先生に質問して得た知識を、とにかく試しました。
 
 

■答えはひとつではないことを学んだイタリア留学

――浦和東高校時代は学業も優秀で、周りは大学進学を勧めていたけれどプロを選んだそうですね。
 
成績が良かったから周りが大学進学を勧めていたというよりは、将来、自分がプロサッカー選手としてうまくいかなかった場合を心配して助言をしてくれていたんです。ただ、ぼくはどうしてもプロサッカー選手になりたかった。やはり大学4年間を過ごす18歳から22歳という年齢はフィールドプレーヤー同様、ゴールキーパーにとっても非常に大事な時期で、土のグラウンドなのか、芝生のグラウンドでプレーするのかでは、成長の伸びしろに大きな差がつきます。ちゃんとしたGKコーチがついてくれるかどうかも重要な要素だったので、プロを選びました。
 
――川島選手といえば、5か国語を操るなど語学堪能としても有名です。これからの子どもたちには語学の習得がますます重要になると思いますが、川島選手はどんなふうに身につけたのでしょうか。
 
本格的に語学を勉強しはじめたのはプロに入ってからです。やはり、一度イタリア留学をしたことが自分のなかでは非常に大きくて、留学したときに今まで日本で当たり前だと思っていたことが当たり前ではないことを思い知ったんです。たとえば、高校時代は物事の答えが一つしかないと思っていて、食事も水分補給も“これをやらないと上には行けないんだ”という感覚が強かった。でも、イタリアに留学したときに物事の答えが一つではないことに気づきました。たとえばイタリア人は、クロワッサンとカプチーノで朝食を済ませてしまいます。それを見たぼくは「栄養はどこにいったんだ!」と思うわけです(笑)。そういうイタリア人の食生活がいいかどうか別にして、答えは一つではないということがわかったわけです。そのイタリアの文化や感覚をより深く理解するには言葉が話せないといけません。色々な考え方や文化に触れることで自分のなかの答えや考え方がもっと大きくなると思ったので、帰国するとまず本屋に行ってイタリア語、ポルトガル語、スペイン語、英語の本を色々と買いあさって、それを1日ずつ変えて勉強していったんです。
 
――まずは本で勉強を始めたんですね。
 
そうですね。『はじめてのイタリア語講座』のような初心者向けの本を買ってきて、毎朝30分の時間を作って勉強するようにしました。午後は疲れると集中できないと思ったので必ず朝に勉強していましたし、当時はブラジル人の選手もチームにいたので、意識して話すようにしていました。彼はディフェンダーで、ぼくが日本語で『右!』と伝えたときに右に行かなかったことがありました。その時に彼は『日本語は難しい』みたいなことを言って簡単にゴールを奪われてしまったんです。ぼくは頭にきて、絶対に言い訳させないぞと思って(笑)、それからポルトガル語を必死に勉強して、具体的に指示して絶対に言い訳ができないようにしたことがあります(笑)。
 
――(笑)。どれくらい勉強を続けたときに話せるようになったのでしょう。
 
いや、まったく話せるようにはならなかったですよ。本で勉強していたときは全然わからないし、話すこともできませんでした。本で勉強していると飽きてしまうので、どんどん次の言語に移ってまた戻って、ということを繰り返していたんです。ただ、いざベルギーに移籍して、海外の環境に身を置いたときに、それまでの勉強が役立っているという感触はありました。ちょっとだけ話せるだけでも相手は興味を持ってくれて、受け入れてくれるんです。
 
――やはり、語学はサッカー選手として大事だと思いますか?
 
言葉が話せないと、自分自身をプレーで表現するしかないんです。でも、プレーに対して何か言われたときにわからないと不安な気持ちになります。その不安な気持ちは自分がその国の言葉を話すことができれば感じずに済むもの。そこがクリアできれば、あとは自分のプレーに集中して勝負するだけです。語学というのはサッカーだけではなく、他の仕事に就いても必ず役に立つと思います。いまは世界がオープンに、グローバルになってきているので、外国語を話せれば日本の良さをもっと発信できますし、世界が広がります。そういう気持ちを子どもたちには持ってもらいたいですね。
 
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