都市部とこんなに違う地方のリアル -地方発、子どもたちの未来づくり-
2019年3月22日
はじめは眉を顰めていた地方のサッカー少年の親を変えた、絶大なるユニフォームの力
■所属してないのに勝手に... 日本語が通じない中国人ママとのやり取りに苦戦
ただ、良いことばかりではありませんでした。こんな事もありました。ある時、練習に顔を出すと見かけない子がいました。聞けば体験練習で参加している、との事。安全管理を考慮して、基本、体験練習は事前に連絡を頂いてから承諾していますが、保護者さんの姿はありません。どうやら子どもだけ置いて戻ってしまったようでした。そしてそうした状況が、1ヶ月以上続きました。
最初はタイミングが合わず、会えないだけと気にしていませんでした。でもある時、日頃練習場所でお借りしている体育館の管理員さんから、こんな電話がかかって来ました。
「今日は、エストレヤさんの練習はお休みと伺っていましたけど、選手の子がひとり、間違えて来ていますよ」
「保護者さんは、いらっしゃらないのですか」
「はい。自宅の電話番号もわからないと言っているし......」
「わかりました、すぐ向かいます」
わたしが急いで体育館に行くと、例の体験参加の子でした。
「お母さんは?」
「帰った」
「お母さんの電話番号わかる?」
「わからない」
「お父さんは?」
「おしごと」
「......」
「家はどこかな?教えてもらえる?」
「うん」
わたしはとりあえず、その子を車に乗せて家に向かいましました。
自宅は体育館からそう遠くない場所にありました。
「ごめんください!」
玄関前で声がけすると、お母さんらしき女性が、奥のほうから出て着ました。
「すみません、今日はチーム練習、お休みだったんです。あと、もしこれからも練習に参加していただけるならば、会員になっていただきたいのですが......」
「......」
お母さんは黙ってわたしの話を聞いていました。
「あの......。もし、これからも通うならば、正式に入会手続きをしていただきたいのですが」
「ワタシ、ニホンゴ、ワカラナイ」
「えっ!?」
「パパ、イマ、イナイ。ワタシ、ナニモ、ワカラナイ」
よくよく話を聞けば、その子のお母さんは中国から来た方で、日本語は多少しか理解できない、という事でした。地方の農村部では後継者不足と同時に、後継者の未婚化が深刻で、こうした問題を解決するために中国や東南アジアからお嫁さんを呼ぶ、という話は聞いた事がありました。この子のお母さんはまさにそれでした。
お父さんは、普段は仕事に出て戻って来ない事も多く、中国人のお母さんも朝から夕方まで、内職等をして働いているようでした。そんななか、たまたま体育館でエストレヤの活動を見かけ、子どもを預かってもらえると思い、置いていくようになったようでした。
のちも何度か、同じ事が続きました。わたしは再び、その子の自宅を訪ねました。
翻訳アプリで「もし通い続けるならば、正式に入会していただきたい。会費もお支払いいただきたい」と中国語で書いた手紙をお母さんに渡しました。
お母さんは意図を理解してくれました。しかし、結局、以後その子が入会する事はありませんでした。
■全ての子どもにサッカーを。しかし、組織として決断しなければいけないこともある
わたしは、どんな境遇、どんな家庭環境であれ、「サッカーをやりたい」「友達をつくりたい」と思ってくれる子であれば、分け隔てなく受け入れたいと思っています。ただし、クラブを組織として運営し、さらに事業として一定の会費を集める以上、ルールは設けなければなりません。それによって、本当はサッカーがやりたいのに、できなくなる子も出てしまうかもしれません。それでも、組織全体で捉えて良いのか悪いのかを判断しなければなりません。
ただ、後悔は残りました。この時の苦い思いもあり、いまわたしはクラブの活動とは別に、「すべての子どもたちに、サッカーのある日常をつくりたい」というビジョンの下、地域にある5つのすべての小学校でサッカー巡回授業を開いています。自治体や学校から要請があったわけでもなく、こちらからアプローチして始めた無償事業です。
サッカー巡回授業は、昨年度は、元Jリーガーの永井篤志が中心となり、年間60回程度開催しました。2019年度からは永井がヴィッセル神戸の育成コーチになる事が決まり、新潟まで通う事が困難になったため、別の元Jリーガーの友人に協力を要請し、2019年度も活動を継続する予定です。
■自分を理解してもらいたいなら、相手を理解する
クラブ運営を始めて2年が経ち、最初は7人しかいなかった選手も、いまは園児も含めれば30人まで増えました。
ファンタジスタ時代は、試合に出場したくてもメンバーが揃わず、悔し涙を流した選手もいました。いまは普通に試合に出場できるようになりました。
都会のクラブでは当たり前の事かもしれませんが、この「普通」にサッカーができるという環境だけでも、下田地域の子どもたちにとっては、貴重な事なのです。
さきほども触れたように、活動に多大な貢献をしてくれた永井篤志は、2018年度終了を以って下田を離れる事になりました。大学卒業と同時に東京から新潟に移住してくれた仁君も、社会人クラブに就職が決まり下田を離れる事になりました。
新年度を前に、創業メンバーは、わたし1人になってしまいました。
「会津さん、困った事があったら、何でも言ってくださいよ。何でもやりますから」
「会津さん、サッカーって、すっげー面白いですね」
年末の忘年会。保護者さんのボランティアコーチたちと囲んだ宴の席でそう言われ、胸に熱いものが込み上げました。
2年前、部員不足と指導者不在で消滅寸前だったクラブには、いまは子どもの専門コーチ2名の他に、活動を通じてサッカーに興味を持ち、チームを支えてくれるようになった保護者さんのボランティアコーチやスタッフが、合わせて10名以上います。
活動してくれる選手の数が増えた事以上に、わたしはサッカーを通じて、子ども達の成長をサポートしたいと願うお父さん、お母さんが地域に増えた事が何より嬉しく、自分の役目が果たせたような気がしています。
当初、わたしは「保護者様のお手伝いは必要ありません。専門のスタッフがすべて行います」というような、都会のクラブチームのようなスタイルを目指しました。
いまはボランティアコーチや保護者様もスタッフとして一緒に活動する、少年団とクラブの中間的なスタイルで運営しています。
サッカーというスポーツを通じて、「子ども達の未来をつくりたい」という思いは、みな同じ。ならば距離をとるのではなく、選手、スタッフ、コーチ、保護者、さらには地域に暮らすすべての人たちが繋がり、「ファミリー」と思えるようなクラブをつくりたいと考えています。
最初は、「地域に暮らす子どもたちの未来を考えているのに、なぜ理解してもらえないのか」と悩んだりもしました。でも振り返ってみれば、わたしは自分が思い描く理想に近づく事に、焦りすぎていた部分もあったようにも思います。
「地方発、サッカーで子ども達の未来づくり」をビジョンに、下田地域で活動を始めて、この4月で3年半になります。
何かを成し遂げたければ、誰に何を言われようとも信念を貫くタフな心は必要不可欠です。しかし、わたしはこの地域に移住して、エストレヤ下田の活動を通して、「自分のやり方を受け入れてもらいたい、自分という人間を理解してもらいたいと考えるならば、まずは自分が相手を理解する事、信じる事が大切なのだ」と学びました。そしてそれは、サッカーというスポーツの本質にもつながる考え方でないか、と思っています。
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