都市部とこんなに違う地方のリアル -地方発、子どもたちの未来づくり-
2019年3月22日
はじめは眉を顰めていた地方のサッカー少年の親を変えた、絶大なるユニフォームの力
■小5で強豪クラブを辞めた息子の現在は...
わたしが川崎市を離れて新潟に行くと同時に中学生になった息子は、この3月、卒業式を迎えました。
小学5年で強豪クラブを辞めた息子は、その後も別のクラブでサッカーを続けました。中学校では最終的には部活で活動しましたが、わたしが試合観戦したのは2回だけでした。たまに川崎の自宅に戻っても、小学生の頃とは違い、息子のほうから尋ねてこない限りは、サッカーについて意見をする事もありませんでした。
「俺、いまから友達とサッカーしに行くから」
春休み。たまにしか川崎の自宅に戻れないわたしに、息子は少し申し訳なさそうにそう言いました。
「うん、わかった。気をつけて」
受験勉強の間になまった体を戻したいらしく、暇があれば、友達とサッカーにでかけていきます。今の所、高校でもサッカー部に入り、続ける予定だそうです。ただし将来の夢は、小学生の頃の目標だった「Jリーガー」ではなく、「会社の社長」だそうです。
「でも、どうして社長になりたいの」
「社長になれば、お金持ちになれるかな、と思って」
「どうしてお金持ちになりたいの?」
「吉川英治の『三国志』を読んで感動して、劉備玄徳みたいになりたいな、と思ってさ。劉備玄徳は親孝行なのね。俺もお金持ちになって、劉備玄徳みたいに、親孝行しようかな、なんてさ」
「ふーん」
わたしはわざと興味なさげに答え、軽く流しました。
新潟に行ってからの3年間、わたしは、エストレヤの子ども達と毎週サッカーをしてきました。でも逆に自分の息子とは、サッカーはおろか、一緒に食事ができるのも、せいぜい月数回程度でした。
息子はそれでも、親のわたしが思う以上に成長し、自分自身でさまざまな事を経験し、そして、将来について考えたりもするようになっていました。そんな様子を知り、わたしは胸につかえていた過去の後悔が、少しだけやわらいだ気がしました。
「あのさ、いまから『親孝行しよう』なんて考えなくて良いと思うよ。どんな親も、自分の子どもが健康で、好きな事をしてくれているだけで、十分嬉しいものだから」
わたしがそう話すと、息子は「将来、病気になって困っても知らないぞ」と言い、笑いました。
「じゃあ、行ってくる。夜ご飯までに戻るからさ」
息子は玄関に置かれたサッカーボールを手にすると脇に抱え、友達の待つ等々力公園の広場に向かいました。
次回は「地方発、サッカーで子ども達の未来づくり」をビジョンに展開している新潟プロジェクトの活動についてお伝えしますのでお楽しみに。
永井篤志(ながい・あつし)
1974年12月23日生まれ
大分県明野町出身 国見高卒/駒大中退
U-16日本代表/第71回全国高校サッカー選手権優勝。高校日本代表としてヨーロッパ遠征に参加。1995年、福岡ブルックス(現アビスパ福岡)に入団しJ昇格に貢献。同年、JFLベストイレブンと新人王をダブル受賞した。2011年、現役引退。Jリーグ通算403試合出場。J2通算368試合は歴代8位の記録。
モンテディオ山形時代は「山形の心臓」と呼ばれる中心選手として活躍した。
会津泰成(あいず・やすなり)
1970年長野県出身。1993年、FBS福岡放送にアナウンサー入社し、おもにスポーツ中継担当。1999年に退社し、フリーライター、放送作家として活動を始める。2002年にはNumberスポーツノンフィクション新人賞を受賞した。以後は、雑誌以外にもテレビ番組の構成や取材ディレクターなど、活動の幅をさらに広げる。
2015年、かねてから興味のあったソーシャルビジネス(社会問題を解決するビジネス)を始めるため、神奈川県川崎市から新潟県三条市下田地域に移住し、二拠点生活を始めた。現在は、「地方発 子供たちの未来づくり」をビジョンに活動する「NSP新潟サッカープロジェクト」代表として、都会と地方の子供を結ぶ事を目標に、育成年代のサッカー普及活動に取り組んでいる。
2019年度からは「総務省 地域力創造アドバイザー」に就任が決まった。今後は新潟に限らず、地方で同様の活動に励む仲間を増やし、子供たちの未来づくりに貢献したいと考えている。
著書
『天使がくれた戦う心』(情報センター出版)。『歌舞伎の童 中村獅童という生きかた』(講談社)。『マスクごしに見たメジャー/城島健司大リーグ挑戦日記』。『凡人が天才に勝つ方法』。『不器用なドリブラー』(すべて集英社)など。