■"魔法のやかん"はもう過去の遺物。ラグビーの取り組み
コンタクトスポーツの代名詞、ラグビーではかつて“魔法のやかん”と呼ばれる大きなやかんが大活躍しました。
「これで水をかければどんなケガでも治る」
試合中に倒れた選手にとにかく水をかけるのが、当時の“治療法”でした。消毒や傷口を洗う目的ならいざ知らず、もちろん魔法などあるわけはありません。現在では、魔法のやかんが治療目的で使われることはなくなりました。
選手が激しくぶつかり合うラグビーでは、IRB(国際ラグビー評議会)が定める脳震盪ガイドラインが徹底されています。もし選手が衝突した場合、主審は選手に“試合の場所”や“現在の状況”などを必ず質問し、疑わしい場合は退場にすることが明記され、トレーニング中のコーチ、両親の対応についても注意喚起がなされています。
また、レフェリーには脳震盪の簡易判断表が用意され、適切な判断を心がける意識が徹底されているのです。
サッカーはどうでしょう? もちろん、Jリーグでも「脳震盪における指針」という資料が示されていて、まったく無関心というわけではありません。しかし、世界最高のサッカーの祭典・W杯の決勝で脳震盪の選手がプレーを続けているのですから、サッカー界を挙げた取り組みは遅れていると言っていいでしょう。
FIFAはつい先日、脳震盪を起こした選手がいる場合は最長3分間試合を中止してドクターに診察させるルール改正の導入を検討すると発表しましたが、ラグビーやアメリカンフットボール、アイスホッケーなどの競技に比べて、安全管理が遅れていると言わざるを得ません。心臓発作、心臓振盪の問題はより深刻です。こうした不幸な事故は既に脳震盪ルールを設けているUEFA(ヨーロッパサッカー連盟)管轄下の試合で起きているからです。
■「大丈夫?」は絶対にダメ。本人に判断させないことが鉄則
羽生選手に限らず、ケガを負った選手は、「やれます」「やります」と言います。しかし、メディカルに携わる人間からすれば、子どもたちがケガをした際に「大丈夫?」という声がけは絶対にご法度です。「大丈夫?」と聞かれたら、子どもは「大丈夫」と答えてしまうからです。
大切なことは、大丈夫かどうかを本人に決めさせないこと。これはひざのケガ、腰や股関節の痛み、そのほか子どもたちのちょっとした不調、違和感にも同様です
羽生選手の魂のこもった演技に感動した人がいる一方で、こうした危険もある。そして、それはサッカーをする子どもたちやその親にとっても他人事ではありません。このことはサッカーに関わるすべての人たちに知っておいてもらいたいことです。
大塚一樹(おおつか かずき)
1977年新潟県長岡市生まれ。大学在学中から作家・スポーツライターの小林信也氏に師事。独立後はスポーツに限らず医療、ITなど様々な分野で執筆、編集、企画に携わっている。スポーツの育成に関する取材歴も長い。最新刊は『最新 サッカー用語大辞典 ~世界の戦術・理論がわかる!』(マイナビ)、編著に『欧州サッカー6大リーグパーフェクト監督名鑑』、構成に『なぜ全日本女子バレーは世界と互角に戦えるのか』『日本人のテニスは25歳過ぎから一番強くなる』(ともに東邦出版)『人はデータでは動かない―心を動かすプレゼン力―』(新潮社)などがある。Facebookページはコチラ
文 大塚一樹 写真 Getty Images