■最初から閉ざしてしまえば、そこから成長はない
――ユースに入って最初の壁は?
「当たり前かもしれませんが、1年生の時は試合に出られませんでしたね」
――中学時代までは試合に出られないという状況に直面することがなかったと思いますが。
「やっぱりユースには地域のナンバー1が集まってきますからね。もちろん、試合に出られないことは悔しかったけれど、落ち込むのではなく、むしろ毎日が勉強だと考えていました。ゴリさん(森山佳郎広島ユース監督)はいつも僕たちをしっかりと見てくれている監督でしたし、練習を怠らず、しっかりとアピールすれば、必ず試合に出られると思っていました。(試合に)出られない時はサブ組としてレギュラー組のFWをいかに抑えるかを考えたり、それを毎日続けることが自分の成長につながると確信していましたね。
また、高1時の寮の同部屋がキャプテンで、しかも同じポジションでジュニアユースの先輩だったんです。すごく仲良くしていただきましたし、その先輩からはいろいろ学ぶものが多かった。当時、どんなに苦しくても、その先輩がいたからこそ乗り越えることができたと思います。『俺の背番号を受け継いでほしい』と言われた時は、本当に嬉しかったですね」
――ちなみに、ユース時代で何か印象に残っていることは?
「よくゴリさんが僕の前で『柏木は広島を、日本をしょって立つ』と言っていたんですが、ポジションは違えど、同期だし一緒にプレーしていた仲間なので、なんていうんですかね……対抗心というわけじゃありませんが、僕のハートに火が付きましたね(笑)」
――大きなモチベーションになったわけですね。
「陽介はいい仲間だし良いライバル。ポジションが違っても、あいつが代表に入って活躍するのは嬉しいけれど、悔しい部分もありますからね。本当によきライバルです。あと、ゴリさんが開いてくれた講義も印象に残っていますね」
――それは森山監督が講義をされていたんですか?
「ゴリさんが様々なジャンルのゲストを招いて、その方々が講義をしてくれるんです。ボブスレーの選手が来て下さったこともありました。印象深いのはキムさん(木村孝洋現FC岐阜監督)の講義。アーセナルでの2年間の海外研修を終え帰国され、向こうでの話を聞かせてくれたんですが……」
――槙野選手の心に響いた何かがあった?
「アーセナルの下部組織の話の中で、『ビッグハート』という言葉を教えてくれました。これは“何を言われても、悔しいけれど、間違っている部分があるかもしれないけれど、一旦聞き入れて、そこから自分に対してプラスにしていくように、それくらい大きな心を持ちなさい”ということを意味するのですが、それを聞いて僕はなんていい言葉なんだろうと感銘を受けて。“最初から閉ざしてしまえば、そこから成長はない”本当にまさにその通りだと」
■今の自分の礎となっているのは、育ててくれた全ての指導者達
――ジュニアユース、ユースと経歴だけを見ると、まさにエリート街道を歩んできたというイメージがありますが。
「いや、そんなことないですよ。そういうふうに見られることもありますが、その中でも苦しみもありましたから」
――人それぞれ苦労や挫折はもちろんあると思いますが、それを「苦しい」「厳しい」だけでなく、「サッカーは楽しいんだ」と感じさせてくれるところもまた槙野選手の素晴らしいところだと思います。
「それは指導者のおかげですね。やらされているのではなく、“自分たちで”という意識でサッカーに取り組むということを教えてくれた指導者と出会えたことは自分にとってはとても大きい、人間性を教えてくれた指導者に出会えたことが、今の自分の礎となっていると思います」
――各世代で出会った指導者は、どの方も欠かせない存在なんですね。
「小学校のコーチもジュニアユース時代の監督の月岡さんも、そしてユース時代の監督森山さんも僕にとっては欠かせません」
――今でも怖い存在は?
「ゴリさんは今でも叱ってくれますし、今年の夏に広島に帰ったときも、本気でいろいろなことを指摘してくれました。実はプロになって6年が経つ今も、まだ(森山監督に)褒められたことがないですからね。だから、『俺はいつ褒めてもらえるんだろう?』って(笑)。褒めてもらえるよう頑張らないといけないですね!」
■W杯で優勝したい。そして日本にサッカー文化を起こしたい
――さて、いろいろな経験を積んでプロ選手になった槙野選手ですが、ジュニア世代の選手たちにアドバイスを送るとしたら、どんなことでしょうか。
「小学校時代はとにかくボールに触ること。あれだけ毎日ボールを蹴っていた自分でも、今になって“もっとやっておけばよかった”と思うほどなので、ぜひたくさんボールに触れてほしい。あと、夢や目標を持つということはとても大事なこと。自分が目指している選手の真似をすることもいいと思います。技術はジュニア世代の間にしかつかないから、どんどんやってほしいですね。『止める、蹴る』という基本技術は、小学校、中学校時代にどれだけボールを触るかがポイントになるし、それがしっかり身につくかどうかが選手の分かれ道になると思いますから。今はサッカーをする環境も、サッカーを知る環境も整っているからこそ、ね」
――数年前までとは異なり、欧州サッカーを始め、より海外のサッカーに触れる機会がテレビ、雑誌でも多くなりましたからね。
「本当にうらやましいです。小さい頃から『世界でやりたい』と、高いところに目標を設定できることは、より広い視野で物事を見るという意味でも本当にいいことだと思います」
――環境面でも芝生のピッチも増えてきました。
「僕たちの時代は芝生のピッチは憧れでしたね(笑)。芝生でプレーできる時は、『ふかふかする~』とか『今日は芝生だから絶対に調子がいい』と言って、みんなで喜んでいたくらいです(笑)」
――今後の槙野選手の夢は?
「それはもちろん、W杯で日本が優勝すること。そしてもう1つはサッカー文化を起こすことですね。野球に比べたら、日本においてはまだまだ歴史は浅いので、よりサッカーの素晴らしさを日本のみなさんに伝えていきたい。それが子どもたちに夢を与えると言うことにもつながると思いますから」
――ケルンに移籍後、なかなか試合に出場する機会がありませんが。
「海外に移籍した選手で結果を残した選手が成功だと言えないし、出ていない選手が失敗だとは一概には言えないと思います。挑戦する気持ちがあるという時点で得ているものはあるだろうし。もちろん、試合に出ていないのに『成功』とは言えないと思いますが、今、試合に出られない状況の中でも、絶対に得ているものもあるはず。それを決して無駄にしないよう、この先さらにがんばっていきたいですね」
槙野 智章//
まきの・ともあき
DF。1987年5月11日生。広島県広島市出身。182cm/77kg。ドイツブンデスリーガ・1.FCケルン所属。サンフレッチェ広島ユース(吉田高) - サンフレッチェ広島 - 1.FCケルン。ポジションはセンターバックやサイドバック。FW時代の経験を生かした果敢な攻撃参加や高い特典能力も魅力。サンフレッチェ広島時代のゴールパフォーマンスは話題となった。現在、2014FIFAワールドカップブラジル アジア3次予選の日本代表にも招集されている。
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取材・文・写真/石井宏美