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インタビュー

【後編】前に進むごとに立ちはだかった"国籍"という壁 - 宮澤ミシェル

公開:2011年2月25日 更新:2023年6月30日

世界中の様々なスター達はどんな幼少期、少年時代を過ごしたのでしょう。彼らの知られざる一面や苦労、努力の一端に触れるこのコーナー。今回は、解説者、指導者として活躍中の宮澤ミシェルさんのストーリー・後編です。

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高校卒業後、熱心なスカウトを受け、国士舘大学への進学を決めましたが、ここでも宮澤さんは国籍という壁に悩まされます。

「面接試験で"君はこの大学には入れないよ"と、いきなり言われました。というのも、当時、国士舘大学には留学生以外で日本国籍以外の生徒はいなかったんです。スカウトしてくれた先生のおかげで何とか入学できましたが、正直、そこでも"また国籍かよ"と思いましたね。 実際、ユニバーシアードもユースも国籍がネックになりダメでした。常に日本からサッカーで世界へ挑戦するという夢は抱いていましたが、それは国籍によっていつもはばまれていました」

大学を卒業後、日本サッカーリーグ(JSL)のフジタ工業サッカー部(現・湘南ベルマーレ)に加入しましたが、そこでも国籍により苦労をすることになります。

「当時、JSLの外国人枠は2人までだったんです。常にそれをブラジル人と争っていたので、私はあまり出場機会を得ることはできませんでした。 その間もずっと帰化申請はしていたのですが、許可がなかなか下りなかったんです。それをふびんに思った上司が数年かけて、他の企業を説得してくれたんです。そして、特別外国人枠という新ルールを作ってくれたんです。それによって4年目くらいから徐々に出場機会に恵まれるようになったんです」

宮澤さんは、いつも自分が前に進むたびに何かが変わっていくという実感があったといいます。フジタではコンスタントに試合に出場し、結果を残していましたが、日本代表への夢は半分諦めかけていたそうです。しかし、93年、突然、帰化申請の許可が下りることになったのです。

「もうダメだと諦めていたんです。十数年も申請していてもダメでしたから......。でも、日本国籍を取得した直後に日本代表にも選出されたんです。 ステップアップを望むごとにいつも国籍にブロックされていて、"もう泣くしかない"という場面ばかりでしたが"最後はそういうオチか?"と、思うほどあっけなく日本国籍を取得できました。そして、夢である日本代表まで叶ってしまった。本当に諦めないでやってきて良かったって心から思いましたよ」

その後、95年まで現役を続けた宮澤さん。現在は指導の現場で子供たちにその経験をどのように伝えているのでしょうか。

「私はありがたいことに、このように少し変わった経験をしているので、傷ついている子供の気持ちもわかりますし、話も聞いてあげられるんです。そして、何事も一生懸命やっていれば人を惹きつける、ということを子供たちには伝えていきたいと思っています。 私の場合、確かに国籍という壁は大きかったですが、一生懸命やっていたからこそ、色々な方々に助けていただけたのだと思います。だからこそ、必死で取り組む姿勢の大切さも伝えていきたいですね」

前に進むたびに国籍という大きな壁に阻まれ、最後の最後にはその壁を乗り越え、日本代表という夢も叶えてしまった宮澤さん。きっと必死で突っ走ってきたからこそ、国籍という大きな壁さえも乗り越えられたのでしょう。

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