今回は、プロフェッショナルレフェリーとして日本のみならず世界で活躍する西村雄一さんが登場します。「審判は選手のためにある」「プロでもジュニアでも、(笛を吹くことは)何も変わらない」――。ピッチ上での真摯な姿勢と同様に、インタビュー中も、一言ひとことに心を込めてお話をしてくれました。
■「"誠心誠意"。選手の夢をかなえられる審判になりたい」
小学生のころは勉強の好き嫌いはなく、成績も真ん中よりは優等生。クラス委員としても活動する積極的な子どもだったとのこと。放課後はもちろんサッカー。毎日夕方5時くらいまでは、近所の公園でお友だちとボールを追いかけて過ごしました。サッカー少年だった西村さんが審判を目指したきっかけは・・・
「学生時代クラブチームに所属をしていて、選手と指導者という2つの肩書きを持っていました。指導者として少年チームを教えていた時、ある試合で審判の誤った判定から、チームが負けてしまったんです。日ごろからがんばってきた選手たちのどこにもぶつけようのない表情を見た時に、"審判は選手のためにいる存在なのに・・・"と感じたんです。
それをキッカケに、選手の夢をかなえられる審判になりたいと強く思うようになりました。審判の4級資格を取ったのは18歳の時。日本サッカー協会(JFA)の指導方針の下、一歩一歩、9年かけて1級の資格を取りました。2級から1級にかけては仕事をしながら審判をしていて、体調管理が大変でした。仕事をしっかりとこなし、週末、サッカーに全力をかたむけられるように日々を過ごしました。
選手に迷惑をかけることのないよう、昔も今も"誠心誠意"という言葉を大切に、どの試合でも選手のために最善を尽くすことを一番に考えています」
■「ワールドカップを通じて選手たちだけでなく、審判や判定などを含めてサッカーを楽しんでもらえたということを実感しました」
2010年はサッカー選手の憧れの舞台、FIFAワールドカップ南アフリカ大会でも笛を吹かれました。西村さんの活躍を通じて、サッカーにおいて選手だけではなく審判に注目して試合を見る人も増えてきています。
「審判がいないとサッカーは成り立たちません。今回のワールドカップで、審判に対する認識が少しでもいい方向へ向かうきっかけになっているなら、うれしいですね。今回ワールドカップの舞台に立てたのは私たちトリオですが、それを作り上げたのは我々ではなくて、日本サッカー界全体で作り上げたもの。(大会では)私たちのひとつのミスで日本のみんなが非難されることになりかねないと、考えていました。
でも、今まで積み上げてきたことを信じて臨んだので、ピッチ上で緊張はしなかったです。今回のワールドカップでは、審判を選出する選考期間は3年間が費やされました。選考期間に積み上げてきた通りにやればいいと考えていましたし、その通りできました。(もし、)いつも以上のことをやろうとしていたら、うまくパフォーマンスができなかったかもしれません。『今までのパフォーマンスを評価されて選ばれているのだから、今まで通りにやればいいんだ。』そう考えることができていたのが良かったですね。
ワールドカップを通じて選手たちのプレーだけでなく、審判や判定など、そういった部分を含めてサッカーを楽しんでもらえたということを帰国してから実感しました。厳しい判定を下す場面もありましたが、私たちが異なる判定をしていたら、みなさんが残念に思い、納得していただけずに、今のように審判が受け入れられていなかったかもしれません。サッカーを維持していくためにも、私たちはがんばり続けなければいけない立場にいるんだなと思っています」
取材協力/日本サッカー協会審判部