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インタビュー

日本代表DF槙野智章「小学生の頃はクラスで1番背が低かった」

公開:2011年10月 6日 更新:2023年6月30日

キーワード:サンフレッチェドイツ日本代表

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現在、ドイツブンデスリーガ・1.FCケルンに所属し、2014FIFAワールドカップブラジル大会での活躍も期待される槙野 智章選手。サンフレッチェ広島のジュニアユースから順調にステップアップし、日本代表を経験、若くして海外移籍を実現するなどエリート街道をひた走ってきたかのように思われますが、そこには知られざる彼の努力と決断、彼を取り巻く多くの人たちの支えがありました。そんな槙野選手の小学生時代からのエピソードを3回に渡ってお送りします。

■毎日、暗くなるまでボールを追いかけていた

――槙野選手がサッカーを始めたのは?
「自分が通っていた小学校のサッカー部には小学4年生からしか入れないというルールがあったんですが、僕はどうしても今すぐにサッカーがやりたいという気持ちが強く、隣町にあるサッカークラブに入部を希望したのが小学1年生。それが最初でしたね」
――小さい頃の槙野選手の周りの環境は?
「父や兄もサッカーをしていたせいか、子どもの頃からいつもサッカーボールが傍にありましたし、いつの間にか公園に行ってボールを蹴るという習慣がついていましたね。よく遊び感覚でリフティングを何回クリアしないと家に帰れないというルールを作ったりしていましたよ。また、二人の兄はもちろん、兄の友達と一緒にサッカーをしていた記憶があります。家でも僕は男三兄弟の一番下なので、本当に自由にやらせてもらっていたと思います。そう母も言っていました(笑)」
――当時はどんなお子さんだったんですか?
「今の子どもたちは、世の中が物騒だということも関係していると思いますが、暗くなるまで外でサッカーをすることが難しくなったり、公園でボールを蹴ってはいけないというルールが決められていたりして、なかなか思い切りサッカーを楽しむという面では厳しい部分がありますよね。でも、僕たちの小さい頃は、外が真っ暗になるまでボールを蹴っていましたし、公園にはゴールポストが設置されていたり、ラインが引いてあったり、微妙に芝が生えていたりと、サッカーする環境が整っていましたね。本当に家にいるよりも外でサッカーばかりしている子どもでした」

■FWだった小学生時代。6年間、背の順はいつも一番前

――小学時代に所属していたクラブはどの程度練習していたんですか?
「週に3回くらいですね。でも、僕は低学年のときも、(低学年の)練習が終わった後に、高学年の練習に出ていたりもしました」
――当時はどんなことを意識しながらプレーを?
「とにかくコーチが怖かったんですよ! まさに鬼コーチと言う感じで(笑)。でも、そのコーチがいたからこそ、今の僕があるといってもいいくらい、サッカーに対しての取り組み方や、当時はFWだったのでFWとしての動き、シュートまでの持っていき方などいろいろ身に付いたと思います。また、人間性という面でも、そのコーチから学んだものはとても多かったですね」
――FWだったということは、その頃は何よりもゴールすることが一番の喜びだったんでしょうね。
「もちろん! (当時は)誰にもスピードで負けることはなかったし、ドリブルも阻止されたことはなかったですからね。ただ、そうは言っても悩みもありました。今の僕からは想像出来ないかもしれませんが、小学6年生までは身長順で並ぶと、常に一番前でした。『前にならえ』をしたことがなかった(笑)。それくらい背が低かったんです。だから、今、当時の友達に会うと『すごく大きくなったね』と驚かれるんですよ(笑)。だからこそ、スピードで勝負したり、ドリブルでは取られないというようなプレーが当時はできていたのかもしれませんけどね」
――それは自分のウイークポイントをわかっていたからこそ、そういうプレーができていた?
「いや、さすがにそこまでは考えられていなかったと思いますよ。でも、自分の特徴はしっかり自分の中で分かっていたつもりです。確かに背が低いことは悩みといえば悩みだったけれど、それ以上にサッカーが楽しくて仕方なかったですね」

■子どもの頃から、サンフレッチェが大好きだった

――ところで、広島といえばプロ野球・広島カープの本拠地であり、どちらかというとサッカーよりも野球のほうが盛んな地域だったのではないかと思います。
「野球もちょっとかじる程度の経験はあるんですが、(野球は)やらされているという感覚が強かった。それに対して、サッカーは自らの意思で『やりたい』と思った。だからこそ、ここまで続けてこられたんだとは思います。あとは、タイミングよくJリーグが開幕し、地元に『サンフレッチェ広島』というチームがあったという環境も大きかったんじゃないかと思いますね」
――サンフレッチェ広島は槙野選手が小学1年生だった94年に、Jリーグで優勝を果たしていますしね。
「ノ・ジュンユンさん、高木(琢也・現熊本監督)さん、ハシェックさん、チェルニーさん、森保(一・現新潟コーチ)さん、片野坂(知宏・現広島コーチ)さん、前川(和也・現広島常石ジュニアユース監督)、柳本(啓成)さん、路木(龍次)さんとすごいメンバーがそろっていましたからね。当時、僕は服から靴から自転車から......全部サンフレッチェグッズというくらい、サンフレッチェが大好きだったんですよ(笑)。ビッグアーチにもよく父や兄たちと一緒に何度も足を運んで観戦していました」
――では、サンフレッチェ広島のジュニアユース入りが決まった時はかなり嬉しかったことでしょう。
「僕の小学時代のクラブの監督が、当時のサンフレッチェのジュニアユースの監督に「いい選手がいるよ」と僕を勧めてくれていたらしく、実は6年生の頃からジュニアユースの練習に参加し、試合にも出させてもらっていたんです。だから、なんとなく『僕はここでプレーするんだな』と思うようになっていましたね」
槙野選手の中学生時代。続きはこちら>>
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槙野 智章//
まきの・ともあき
DF。1987年5月11日生。広島県広島市出身。182cm/77kg。ドイツブンデスリーガ・1.FCケルン所属。サンフレッチェ広島ユース(吉田高) - サンフレッチェ広島 - 1.FCケルン。ポジションはセンターバックやサイドバック。FW時代の経験を生かした果敢な攻撃参加や高い特典能力も魅力。サンフレッチェ広島時代のゴールパフォーマンスは話題となった。現在、2014FIFAワールドカップブラジル アジア3次予選の日本代表にも招集されている。
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取材・文・写真/石井宏美

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