■息子は、基本ほったらかしでした
――その後息子さんはサッカーを続けられたのでしょうか
村井 中学、高校と部活でサッカーを続けたようです。私は子どもにプロ選手になってくれなんて毛頭思っていなかったので、少年団との関わりが終わったら普通のサラリーマンに戻りました。中学でどう、高校でどうというのは思っていませんでした。
息子に関しては基本ほったらかしですよ。父親としてはほとんど何もしてない。少年団のサッカーも途中から息子のためというよりは自分のためになっていきましたからね。息子が練習に来ていないこともあったように記憶していますし、親が本気でサッカーに関わることを楽しむ姿を見せることに意味があったのかなとも思っています。
日本のビジネスマンは居場所がない、といわれます。私も前職を辞めて初めてわかったのですが、辞めた次の日に会社へ忘れ物を取りに行ったら、当たり前ですが、自分のデスクがないどころかセキュリティの関係で建物にすら入れず、入り口で止められてしまいます。会社と個人の関係はそれくらい一日を境にドラスティックに変わってしまうものです。それに比べて地域との縁は、地元にひょっこり帰ってくればいつまでも温かく仲間が迎えてくれる。サッカーで一緒になったお父さん仲間とはいまでも関係が続いていますし、息子も仲間と私が撮りためた当時のプレービデオを観たりして盛り上がっています。
――子どものために! と目を三角にしてがんばるのではなく、子どものサッカーを通じて地域との縁、接点を作り、親も楽しんでいるという姿を子どもに見せる。こういうことも大切ですね。
村井 親同士が楽しもうという意識は強かったですね。飲み会もずいぶんやりましたし、お父さんたちは地域に交流の場を持ちにくいので、サッカーをきっかけとした飲み友だちも相当数います。子どもたちは一生懸命プレーしていますが、親たちも親たちでサッカーを通じて飲み友だちになったり、時にはレフェリー仲間の笛に対して、文句じゃないですが批評し合ったり……。子どもに何を教えるかとか、どう関わるかという以前に、親がサッカーやそれにまつわる活動を心から楽しんでいる姿を子どもたちに見せるというのもいいものですよね。そういう意味では、あえて気をつけたことを挙げるとするならば「余計な口出しはしない」「親自身が徹底して楽しむ」ということです。
サッカーのおかげで、私は地域に友人が増えて、都心で働いて地元に寝に帰ってくるだけという生活とは違う彩りが加わりました。豊かな社会生活、地域との接点を持てたのだと思います。
少年サッカーは“子どものための”サッカーではなく、親にとっても地域にかかわる重要なきっかけになる。村井チェアマンは自らの経験と重ねて、子どもたちとの距離感、サッカー少年の親としてあるべき関わり方についてお話くださいました。では、これからの日本のサッカー、子どもたちのサッカーはどうあるべきなのでしょう。次回は“考える”サッカーをテーマに話を深めていきます。
後編につづく>>(8月21日配信予定)
村井 満(むらい みつる)
日本プロサッカーリーグ理事長(Jリーグチェアマン)。埼玉県生まれ。高校時代はGKとしてプレー。早稲田大学卒業後、日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス)に入社。同社執行役員、リクルートエージェント(現リクルートキャリア)社長などを歴任。忙しい仕事の傍ら、サッカーペアレントとして息子の通う少年団の引率、レフェリーをこなし、週末をサッカー三昧で過ごす。人材支援事業を通じてJリーグのセカンドキャリアに関わるようになり、2008年からJリーグ理事を務め、2014年1月31日に第5代チェアマンに就任した。
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聞き手・構成 大塚一樹