サッカー豆知識
FC東京を2年でクビに。引退して気づいたプロになる前に身に付けておくべきこと
公開:2017年10月13日 更新:2021年1月27日
憧れのJリーガーになりながら、わずか2年で、そのキャリアは終焉を迎えてしまう。なぜ、彼はプロ選手としてあり続けられなかったのか。
かつてFC東京に所属し、現在は渡米・留学サポート業を運営する「株式会社With You」代表取締役を務める中村亮さんに、自らの失敗談をもとに、少年期に身に付けておきたい、成功するためのポイントについて話を伺いました。(取材・文:原山裕平)
(写真は少年サッカーのイメージです。記事内容とは関係ありません)
■期待に胸躍らせプロ入りも出場機会なし
中村さんがFC東京に加入したのは2004年の時。兵庫の名門、滝川二高時代には、全国高校選手権でベスト4、鹿屋体育大学ではユニバーシアード代表に選ばれるなど、その輝かしい実績を評価されてのプロ入りでした。
同期には今年引退を表明した石川直弘選手や茂庭照幸選手(現セレッソ大阪)らがおり、中村さんは大型SBとして大きな期待を受けていました。
「僕はスピードが売りのSBでした。しかも、身長が高くて左利き。素材的にはなかなかいないタイプだったんですけどね(苦笑)」
しかし、加入から2年間で、怪我の影響もあり公式戦の出場機会は一度も訪れませんでした。そして2年目のシーズンが終わると、中村さんはスパイクを脱ぐ決断を下しました。
なぜ、優れた資質を備えながらも、プロの世界で成功できなかったのでしょうか。
「やっぱりプロ選手でやるうえでの心構えだったり、メンタルの部分が足りなかったんだと思います。精神的にタフじゃないと、通用しない世界なんだなと。当時は若かったですし未熟なところもあったので、いろんな部分に言い訳を探していました。例えば怪我のせいにしてみたり、環境が悪いとか。でも結局のところ、それでも結果を出す人はいる。僕より大きな怪我をしながらも復活して活躍する選手はいっぱいいるので、そういう選手を見ると、僕には甘えがあったし、タフさが足りなかったのかなと思います」
■甘やかされた少年時代
少年時代から厳しい環境に身を置くことなく、自立を促せない状況にあったことも原因だったかもしれない。中村さんはそう推測します。
「自分の親を悪く言いたくはないですが、甘やかされたんでしょうね(笑)。自立するという意味では、ジュニアの時から電車を乗り継いで練習に行く子もいたり、自分でスケジュールを管理できる子もいます。でも僕はのほほんと育ってきたので、その過程における想いの強さに違いがあったのかなと思いますね」
「だから、今Jリーガーを目指しているお子さんだったり、保護者の方々に言わせていただくのであれば、自分で決断したり、自分で考える環境を作ってあげること。僕の場合は親がレールを敷きすぎてくれていたというか、答えをほぼ出してくれていましたから。正解がある時点で、覚悟は伴わない。やはり小さいころから、自分で決断し、自分で責任を持つくらい気持ちでやっていかないと、なかなかプロという世界に達し、そこで成功するのは難しいと思います」
もうひとつ、中村さんが感じているのは、「今の子どもたちはサッカーをやりすぎ」だということ。
これは、選手としての経験ではなく、アメリカのサッカー事情に精通する現在の立場から思うことで、日本の少年サッカー現場における過度なハードワークや試合数の過多など、海外の現場を知るからこそ、やはり特殊に映るそうです。
「日本の子どもたちは、サッカーをやりすぎだと思いますね。毎日練習して、週末には何試合もこなす。これでは気持ちが続かないですし、当然怪我のリスクも高まる。アメリカの子どもたちは、サッカーが好きだけど、それ以前に、まず人としての人生を考えます。だから、サッカーだけに没頭せず、家族と一緒に過ごすことや、他のスポーツに触れたりします」
「でも日本の場合は、他のことに触れる機会が本当に少なくて、サッカーを辞めると何もなくなってしまう。それでは将来、困ってしまいますよね。サッカー以外にもいろんな世界に目を配り、そのなかでサッカーに生かせることもあるかもしれない。プロになれるのは限られていますし、人生はサッカーだけじゃない。視野を広くし、様々な環境に触れる。そういうスタンスが、求められると思いますね」
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文:原山裕平