サッカーには守るべきルールの他に、選手や監督、サポーターが常に胸に留めておかなければいけないことがあります。サッカーは紳士のスポーツであること、スポーツマンシップを何よりも重んじる競技だということです。
莫大なお金が動くようになった現代サッカーでは、プロフェッショナル=結果至上主義という面が強調されすぎて、勝つためには手段を選ばないという残念なプレーも見られるようになりましたが、サッカーの本質はフェアプレーにこそあります。
■サッカーの不思議な慣習
世界最古のカップ戦、FAカップでかつてこんなことがありました。
番狂わせが起きることで知られるFAカップを戦うアーセナルは、格下シェフィールド・ユナイテッド相手に苦戦を強いられていました。試合は後半なかばを過ぎても1-1と緊迫した展開。後半30分、健闘を見せるシェフィールドの選手がアーセナル陣内で倒されてしまいます。主審の笛は鳴りませんでしたが、シェフィールドのMFモリス選手は起き上がる気配がありません。
一方、ボールはアーセナルの選手に大きくクリアされて、シェフィールドGKに保持されていました。
「モリスはケガをしているかもしれない」
GKは、プレーを一度止めるためにタッチラインの外にボールを蹴り出します。
無事に立ち上がったモリスを見て、ピッチもふたたび試合に戻ります。
皆さんもご存じの通り、こういう場合はアーセナル側がシェフィールドにボールを返すのがサッカーの慣習です。スローインに立ったアーセナルのパーラー選手は相手GKに向かってボールを投げ返しました。そのときでした。ボールめがけて走らした選手がいました。アーセナルのFWヌワンコ・カヌ選手です。ボールを奪ったカヌ選手は中央へパスを送り、パスを受け取ったオーフェルマルス選手がゴールを決めてしまいます。
もちろんシェフィールドの選手やサポーターは猛抗議。しかし、このゴールは認められ、シェフィールドはジャイアントキリングのチャンスを逃してしまいました。
■フェアプレーを貫いたベンゲル監督の信念
このお話はフェアプレーが裏切られた例ではありません。話には続きがあるのです。
アーセナルのアーセン・ベンゲル監督は、試合終了後、即座に再試合を申し出たのです。
「2点目のゴールは、スポーツマンシップに反するもの。再試合の提案をしたいと考えている」
常々「結果は重要なのではなく、すべてだ」と公言しているベンゲル監督ですが、フェアプレー精神は不当な勝利に優先されると考えたわけです。
ベンゲル監督は移籍直後のカヌ選手をかばいつつ、一連のプレーがスポーツマンシップに反していたことを認め、再試合を望みました。FAもこれを受理し、再戦がかなうこととなりました。この試合でもアーセナルが今度は文句なく勝利を果たし、準々決勝へ駒を進めています。
■同様のことは日本でも 京都対大分戦
この"事件"は1999年に起きましたが、同様のことはその後も度々起きています。2003年、ナビスコカップの京都対大分戦では、FAカップと同じようなシチュエーションで大分の選手が返されたボールをカットし、そのままゴール。大分の小林監督はこのプレーに対してディフェンス放棄を指示。京都に1ゴールを返しました。
この行為はサッカーくじtotoの結果に影響を与えたとして問題になりましたが、小林監督は不正に得たゴールを良しとせず、そのゴールをそのまま相手に返す形をとりました。
■忘れてほしくないサッカー的慣習
こうした例は、もともとフェアプレー精神から生まれたサッカー的慣習が混乱を生んでしまったケースです。ボールを返す慣習は、ルールに載っているわけではないので、子どもたちのサッカーでも混乱が起きることもあるようです。
現在、FIFAではけが人が出た場合には選手の善意に任せず、できる限り審判が試合を止め、ドロップボールで試合を再開することを徹底しています。
お互いにわだかまりがない方法ですから賢明で公正だとは思うのですが、フェアプレーの精神から生まれたサッカー的慣習が姿を消すと思うと寂しい気もします。ボールを返す、返さないの基準は曖昧ではなく、試合の流れをきちんと把握していればわかることです。たとえば子どもたちに「こういう場合はお返しの意味で相手にボールを返すんだよ」とボールを返す意味も含めて伝えられたら、子どもたちのサッカーに対する考え方や試合を観る目も変わります。
全国レベルの少年大会を観ていてもケガ人が出たとき「もう少し早く審判が止めた方がいいのにな」と思うことが多いので、まだまだボールを外に蹴り出すプレーも必要かもしれません。とはいえ、現行ルールでは選手が自分の判断でプレーを止めない方向へ舵を切っています。こうした状況をすべて把握した上で、なぜボールを返すのか、ベンゲル監督はなぜ再試合を申し出たのか、サッカーの精神とはどんなものなのかを話し合ってみるのもサッカーへの理解を深めてくれる助けになるかもしれません。
大塚一樹(おおつか・かずき)//
育成年代から欧州サッカーまでカテゴリを問わず、サッカーを中心に取材活動を行う。雑誌、webの編集、企業サイトのコンテンツ作成など様々 な役割、仕事を経験し2012年に独立。現在はサッカー、スポーツだけでなく、多種多様な分野の執筆、企画、編集に携わっている。編著に『欧州サッカー6大リーグパーフェクト監督名鑑』、全日本女子バレーボールチームの参謀・渡辺啓太アナリストの『なぜ全日本女子バレーは世界と互角に戦えるのか』を構成。
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文/大塚一樹 写真/新井賢一(ダノンネーションズカップ2013より)