■日本に足りない「おれが主役になるんだ!」という気持ち
彼らの超個人主義は、筆者に子どもがスポーツを始める動機やきっかけを思い出させてくれました。
子どもたちがスポーツを始める動機のひとつに、“主役になってかっこよく活躍したい”という気持ちがあります。そんな彼らの純粋な気持ちを、われわれ大人が徐々に矯正してしまっているのではないか。コーチ、あるいは親の立場になって、改めて日本における教育を振り返ると、そのように思えてなりません。
確かに、チームとしてのコンビネーションや、チーム戦術は、日本人が世界と戦う上で大きな強みです。それはハビエル・アギーレやザッケローニ、オシムなどの言葉からもわかります。その背景には、日本人の和を尊ぶ国民性や「1+1=3」になるような教育があるのでしょう。しかし、とくに育成年代のサッカーにおいて日本は、そこに執着するあまり「自己主張」を軽視する現状があるのではないかと思います。
1対1で相手に向かっていく姿勢であり、「おれが点を奪うんだ」という強い気持ちの欠如。それが、得点力不足や1対1の弱さとして表れているのではないでしょうか。
ドミニカの子どもたちのサッカーを見ていると、日本でも、育成年代の子どもたちに対して「おれが、おれが」という気持ちを尊重させてあげるべきだと感じました。わたし自身、日本では小学生年代の育成に関わってきましたが、ドミニカの子どもたちからは、日本の子どもたちが持っていないものを強く感じました。
日本では小学生年代の子どもたちに対して「右サイドがあがったら左サイドは残れ」「トップがサイドに開いたら中盤の選手が空いたスペースに飛び出せ」といったような具体的な戦術指示を与えるチームも多いです。
それらの戦術は、チームの勝利を第一に考えると必要なものかもしれません。しかし、子どもの成長を第一に考えるとどうでしょう。
小学生年代では、個の能力や発想にフタをせず、気の向くままに自由にプレーさせること、子どもの「おれが、おれが」という個人主義を受け入れ、自然発生する気持ちを身体にしみ込ませることも必要なのではないでしょうか。
取材・文・写真/岡島智哉