■多忙な中学時代を支えたのは母が作った温かいご飯
3歳年上の兄や当時、流行っていた漫画「キャプテン翼」の影響で、9歳の時に地元・富士市のスポーツ少年団でサッカーを始めた川口選手。当初は様々なポジションでプレーしていましたが、小学校4年生からGKとして本格的にプレーを始めました。当初は、レギュラー選手が欠場した際の代役。“他のポジションより走らなくていいと思ったから”という理由でしたが、川口選手はすぐさまGKの楽しみに気付きました。
「子どもの時に、一つ上の学年のチームでキーパーをやっていたのですが、点を獲られたら、上級生に『ヘボキーパー』とか、『辞めちまえ』とよく言われていました。それでも、嫌な思いというより、サッカーを楽しんでいた記憶しかないし、自分も言い返していました。キーパーをやっている子には言われて落ち込むのではなく 、『俺だってやっているんだから、お前らもちゃんとやれ!』と言い返すような強い気持ちが大事だと伝えたいですね」
と振り返ったように、川口選手の代名詞とも言える熱い気持ちを全面に出したプレーを当時から発揮していたようです。
メキメキと頭角を表すと、中学進学時には静岡市内の強豪・東海大一中学(現・東海大翔洋中学)へと進学しました。1時間以上かけて電車通学をするため、陽が昇る頃に目を覚まし、帰るのは夜遅く。
「ご飯、お味噌汁、魚、野菜と一通り食べてから学校に行っていました。お昼のお弁当だけでなく、帰りが夜の8時、9時と遅くても、母が毎日必ず晩ごはんを作ってくれていました。中学まではしっかり食事をとっていましたね。まだ、子どもなのでその間におやつも食べたりしていましたけど(笑)。何もしていなければ太ってしまう食事量だったと思いますが、サッカーの練習が凄くハードだったので、全部消費していたのだと思います」
と話すように、ハードな生活を支えていたのは、充実した食生活でした。
■2度の大けがを乗り越えられたのは徹底した食生活があったから
高校3年次に多くのオファーがある中から、卒業後の進路として横浜マリノスを選んだ川口選手。まず取り組んだのはどんなことだったのでしょうか?
「プロに入ってからは、身体もしっかり作らななければダメだと思い、周囲からアドバイスを貰いながら、自分でも勉強して高校3年間の分も取り返そうと思いました」
脂物を控え、体重管理を行うなどの徹底した食生活を送りました。『実践してみたら身体のキレや脳への伝達が違った』と話したように、ピッチ外での努力がこれまでに身につけた能力を更に高めることとなり、入団2年目にして正GKを獲得。マリノスをJリーグ年間王者へと導く原動力となり、新人王も受賞。活躍は国内に留まらず、1996年にフル代表デビューを果たし、1998年のフランス大会から2010年の南アフリカ大会まで4大会連続でワールドカップのメンバー入りを果たしました。2009年には右脛骨を骨折、全治6か月の大けがを負うなどハプニングもありましたが、『2回大けがしても、戻れているのは若い頃から食事管理をしてきたからだと思います』と38歳となった今でも現役を続けられているのは幼少期から現在まで続ける食の徹底があったからだと川口選手は話します。
「サッカーが上手くなりたい、サッカー選手になりたいという思いがあるなら、何でも好き嫌いなく食べること」とジュニア年代のサッカー選手へアドバイスを送る川口選手。幼少期の選手にとっては身体の基礎となる食生活は切り離せないモノではないでしょうか。
プロで長きに渡って活躍する川口選手の源となった食生活など詳しいインタビュー記事はコチラからご覧いただけます。
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