今からちょうど10年前、原口元気選手は第27回全日本少年サッカー決勝大会に埼玉県代表の江南南サッカー少年団の一員として出場し、優勝を果たしました。その後、中学進学と共に浦和レッズジュニアユースに入り、飛び級でユースに昇格、さらに当時日本人最年少でトップチームに入った、そんな原口元気選手の子どものころにせまります!
■サッカーだけでなく、虫取りや川遊びにも夢中だった子どもの頃
――原口選手はどんな子どもでしたか?
子どものころは友達とよく声をかけ合って、夏は昆虫採集に出かけ、クワガタやカブトムシ、バッタなどを獲りに行っていました。学校からの帰り道、通学路にあった用水路で、魚やザリガニ獲りもしましたね。だから、なかなか家にたどりつけなくて(笑)。学校と家の間には、遊び場がたくさんありました。
また、幼稚園から小学2年生くらいまで、水泳もやっていました。でも、ただ泳ぐことがつまらなくて、スイミングスクールに行くのが嫌でしたね。母親に『頭がいたい』と言って、よく休んでいました(笑)。でも、水泳をやっていたおかげで基礎体力がついたと思いますし、続けてよかったなと思います。
――原口選手がサッカーを始めたのは?
たしか幼稚園のころだったと思いますが、気づいた時にサッカーが好きになっていましたね。すごく楽しかったけれど、試合に負けると、いつも悔しくて泣いていました。
――サッカーを始めた頃は、どんな練習を行っていましたか?
家の前にある公園で、よくリフティングをしていました。父親から『300回できるまで(家に)帰ってきちゃダメ』と言われて、必死に練習したことを覚えています。ときには、出来ていないのに『300回できたよ!』と言って、家に帰ったこともあったり(笑)。それでも小学1年生で300回くらいはできるようになっていました。どんどんリフティングの回数が増えることが、本当にうれしくて。
ある日、浦和の公園で遊んでいた時、2歳くらい年上の子がサッカーをして遊んでいたことがありました。その子は僕よりもリフティングが上手で、回数も多くできていたんです。それを見た僕の心に火がつき、それ以降、さらに熱心に練習するようになりました。
■浦和レッズのジュニアユースで自分を変えようと決めた!
――小学生のとき、チームの中ではどんな選手でしたか?
僕が一番うまいという自信があって、試合に負ければ納得しないし、負けを仲間のせいにしたり、“とりあえず、俺にパスをよこせ!”と生意気な子どもでした。しかし、浦和レッズのジュニアユースに入って変わることができました。入ったときはまだ生意気で、そんな僕の姿を見て監督やコーチは『お前には本当にリスペクト(仲間や相手を思いやる気持ち)が足りない。だから試合には出さない』とか、『お前はサッカーをなめている』と言われ、グラウンドから出されたこともありました。でも、プライドがジャマをして、自分を曲げることができなかったけど、それじゃダメだっていうことに気がついたのです。そして、なによりも、監督やコーチの方々の本気で僕を変えようとする気持ちが伝わってきましたし、また、自分も変わらなきゃいけないと本気で思いました。
――原口選手が初めて感じたカベは?
小学生から中学生にかけて、なかなか身長が伸びませんでした。中学1年生の頃は152センチしかなくて、あのときが一番苦しかったですね。すごく小さいというわけではなかったのですが、小学生の頃はなんでも常に1番にできていたのに、成長の早い子たちにどんどん抜かれてしまって。スピードでも、体の強さでも負けてしまう。しかも、成長期でケガも多くて、親にも心配をかけていました。
■子どもは「プロになりたい」「うまくなりたい」と強く思う気持ちがあればいい
――自分の特長をどう伸ばすか、ということを子どものときから考えていましたか?
自分の特長がドリブルだと気づいたのは、小学校のときでした。それでも、まだ“得意だな”という程度で、特別に意識して練習するということはありませんでした。ただ、ドリブルだけは誰にも負けないという気持ちだけは強かったし、こだわりもあったと思います。気にして練習をし始めたのは中学や高校に入ってからですね。チーム練習が終わった後に、1対1の練習をして、自分の武器としてもっとみがこうという気持ちプレーしていました。
――ジュニア世代の子どもたちへメッセージをお願いします。
夢や目標はすごく大きなものにしてほしい。そうすれば、その想いが自然と行動にも現れると思うから。たとえ、たどりつかないという目標でも、強く願うことで、努力をすると思うから。僕も『プロになりたい』『日本代表になりたい』と誰よりも強く思っていたからこそ、努力してこられたと思います。
原口 元気//
はらぐち・げんき
FW。1991年5月9日生。埼玉県熊谷市出身。浦和レッドダイヤモンズ所属。2003年の第27回全日本少年サッカー大会で、江南南サッカー少年団の主力選手として優勝し、中学進学と同時に浦和レッズジュニアユースに入る。ユースチーム昇格1年目からサテライトの試合に出場(2007年は4試合、2008年は2試合)。2008年5月23日付けで2種登録選手としてトップ登録され、2009年1月30日に当時の日本人クラブ史上最年少で浦和レッズとプロ契約を締結した。
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取材・文/石井宏美 写真/新井賢一