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ブンデス・デュエル王を育てた「過去と他人を気にするな」の名言。先のビジョンを見据えて逆算できる選手に...遠藤航・父の教育②

公開:2021年10月28日 更新:2023年6月30日

キーワード:セレクションデュエルドイツブンデスリーガボランチマリノス日本代表育児方針遠藤航

湘南ベルマーレを皮切りに、浦和レッズ、ベルギー1部・シントトロイデンを経て、ドイツ・ブンデスリーガ1部・シュツットガルトでキャプテンマークを巻いて奮闘する遠藤航。

10月12日に行われた2022年カタールワールドカップ(W杯)アジア最終予選オーストラリア戦でも中盤の要として躍動しました。

そんな遠藤選手を育てた父・周作さんのインタビュー後編では、航選手が「昔から得意」という長期ビジョンから逆算できる力をつけるきっかけなどを伺いました。
(取材・文:元川悦子)

 

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(C)中河原 理英

 

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■進学先は親に相談無く自分で決めた

航選手が小学校高学年の時、横浜F・マリノスのセレクションを3回受けたことは前回書きました。本人はショックを受けることなく、よりサッカーへの意欲を高め、真摯に向き合うようになりました。

彼が選んだ進路は中体連の南戸塚中学校。神奈川県には、伊東純也(ゲンク)を輩出した横須賀シーガルズや小川航基(磐田)を送り出した大豆戸FCのような有力な街クラブもありましたが、「部活なら学校が終わってすぐに練習できるし、試合にも沢山出られる」という理由から、両親にも相談することなく、自ら決断したといいます。

 

■自分がコントロールできないことを気にしてもしょうがない、適度な鈍感力が大事

「私たち親は自由に生きてくれればいいと考えていました。それに『過去と他人は考えるな』と航には言っていました。マリノスのセレクション不合格にしても、自分ではコントロールできないこと。それを気にしていても仕方ない。過去を振り返ったところで人生が変わるわけでもないですよね。特に思春期は周りが気になるでしょうけど、『適度な鈍感力』も必要。マインドを正常に保ってもらおうと『自分が努力しても変わらない外的要因は無視しなさい』と言ったこともありますね。

私自身は高校でサッカーをやめましたけど、当時はJリーグもなかったですし、サッカーでは生活が成り立たないと判断。勉強して大学に進み、いわゆる大企業に入りました。そして30歳くらいの頃に金融ビッグバンを経験。それを機に世界の市況に関心を抱き、『30年後はそちらに関わる仕事をする』とビジョンを持って勉強を重ねました。そんな親の背中を航も見ていたんでしょうね。コツコツと前進していったように感じます」

 

■「理想像」から逆算して目標を達成していく

周作さんが言うように、航選手は「未来の理想像」を描き、それを逆算して1つ1つ目標を達成していくことを考えるようになったといいます。食事や体のケアはもちろんのこと、入浴後の入念なストレッチは日課。さらに憧れのイングランド・プレミアリーグを見て、元イングランド代表DFジョン・テリーらの動きを自分なりに分析し、「今のプレーどう思う?」「あの時はなぜあの判断だったのかな?」などと父とディスカッションを繰り返していたそうです。

「私が質問すると航は細かいプレーを全部覚えていて、詳しく説明するんです。それだけ全体が見えていたということだと思います。彼の中学の試合にも月1回程度は観戦に出かけていたんですが、『お前行け』『カバーしろ』と的確に声をかけていた。弱いチームだったので、自分1人だけでは勝てないと分かっていたので、周りをうまく動かして組織的に戦っていこうという意識が高かったんだろうと思います。

航自身は特に足も速くなく、テクニック的に秀でているわけではなかったですが、いろんな選手を見ていたのもプラスに働いたように感じます。小学生の頃は中村俊輔選手(横浜FC)の大ファンでしたが、全くタイプの違う中澤佑二さん(現解説者)も好きでした。プレミアにもジョン・テリーなど憧れの存在はいました。名選手のいい部分を取り入れようと自分なりに一生懸命だったんでしょう」

 

■父が送った「無言のメッセージ」

貪欲に高みを目指す息子の役に立とうと、父はちょっとした試みを始めました。それは自身が目を通したサッカー指導書を机の上に置いておくこと。彼が直面している課題解決につながりそうなものを父なりに選び「無言のメッセージ」を送っていたのです。

「ブンデスの指導書など3~4冊は置いたかな(笑)。テクニカルな内容というより、考え方に関わるものが中心でした。それから数か月後に試合を見に行くと課題が解決されていることが多くて嬉しかったですね。特にDFにコンバートされた中学3年の時はコンビを組んだ子が初心者だったので、その子の強みである身体能力やスピードを生かしながら勝てる術を自分なりに見出そうとしていたんだと思います」(周作さん)

こうした試行錯誤が湘南ユースの練習参加につながり、曺貴栽監督(現京都監督)との出会いと湘南入りという形で結実しました。その後、高校2年で反町康治監督(現日本サッカー協会技術委員長)に抜擢され、プロデビューを飾り、年代別代表に抜擢されるなど一気に上昇気流に乗るようになりました。「正直、ここまで来るとは思っていませんでした」と父は驚き半分に話しますが、「顔には出さないけど、目に見えない努力を沢山したんだと思いますね」と息子を改めて労いました。

 

■子どもに何か言いたくなったら、いったん深呼吸するといい

「大人になった航から相談を受けたことはほぼないですが、湘南から浦和レッズへ移籍する時だけは少し悩んでいたようでした。『どう思う?』とそれとなく聞かれたので、私は『そんなの自分で考えろ』の一言だけ返しました。本人はその後すぐ移籍を決断した。親としては自分で考え、自立してくれればいいので、特に何も言うことはありませんでした。

前にも話した通り、親はどうしても子どもに期待してしまいますから、『もっとこうしたら』と助言しがちですが、何か言いたくなったら深呼吸するのがいいですね。私も普通の人間ですから、やはりそういう時はありましたが、つねにもう1人の自分がいて、冷静に客観視できる状態を心掛けてきました。航もそういった自己分析力を身に着けてくれたのは嬉しいですし、彼の大きな強みになっている。長期ビジョンから逆算できる力にもつながっていると感じます」

偉大なフットボーラーに成長した長男を頼もしく感じつつも、周作さんは「まだまだ上に行ける」と考えています。「プレミアに行ったら現地まで観に行くよ」と息子に声をかけているのは、高い志を持ち続けさせるための父なりの工夫なのかもしれません。もちろん航選手自身も「プレミアでやりたい」と口癖のように話しています。

いつの日かサッカーの母国で父と息子の笑顔の邂逅が叶うことを切に祈りたいものです。

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取材・文:元川悦子 Photo:(C)中河原 理英

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