先日、カールスルーエSC(ドイツ2部リーグ)に所属する山田大記選手が静岡のローカル番組のインタビューで、「日本には、サッカー選手を好きな人が多いでしょ。ところが、ドイツって本当にサッカーそのものを好きな人が多いんですよ。だから、有名な選手が彼女と街中でデートしていても、大騒ぎにならないんです。日本では考えられないでしょ。ドイツ人には、『おれたちが好きなのはサッカーだ』っていう意識があるんですよね」と。
このインタビューを聞きながら思わず「そうそう」と、テレビに向かって相づちを打ってしまいました。ブラジルW杯期間中は、日本のテレビ局各局が、珍しくサッカーを前面に打ち出した長い番組をやっていました。しかし、どの局の番組もサッカー選手に多くの時間を割いていました。「選手の好きな食べ物」とか「好きな曲」とか、「どこでどのように育った」とか、「どんな家族」とか。それを見ながら、そんなことよりもサッカーを取り上げてくれ、と不満を抱いた記憶があります。同時に、「でもサッカー自体を取りあげるだけでは、番組は持たないんだろうなあ」とも思いました。サッカー自体を好きな視聴者が少ないからです。(取材・文/広瀬一郎 写真/Getty images 田川秀之)
■サッカーとはなにか、きちんと説明できますか?
サッカーの母国イギリスでは、サッカーの討論番組を延々と流しています。だれもその映像に飽きません。サッカーが生活の一部になっているんだな、と感心しました。それだけに、「つまらないゲーム」や「つまらないプレー」に対する批判と非難は厳しいです。特に「気を抜いたプレー」は許されません。
先日、ラグビーのオール・ジャパンがニュージーランドの「マオリ・オールブラックス」と対戦し、世界最強のチームを相手にあわやと思わせるような善戦をしました。残り3分までは勝っていたのです。37分にボールがラインアウトされた際、オールブラックスはクイックスローで、逆サイドに長いボールを入れました。ジャパンは、ボールアウトになったので、ちょっと一息いれていたのですが、そこを見逃さずにクイックスローで投げ入れた選手。そして、逆サイドでボールを待っていた数名の選手達。逆サイドにはジャパンの選手がいませんでした。そして、やすやすと逆転のトライを許したのです。
そのシーンは『ドーハの悲劇』(1993年)を思い出させました。すでにアディショナルタイムに入っていて、日本が1点リードしていた試合です。相手のコーナーキックがラストプレーになる、と全員が思っていました。ここを凌げば、史上初の本大会への出場権が得られるはすでした。ディフェンスも集中していました。ところが、相手のイラクは、なんとショートコーナーをしたのです。その瞬間に、フッと集中力が切れました。ディフェンスにいったカズ(三浦知良選手。横浜FC所属)は簡単に切り返され、相手はフリーでセンタリングをし、相手がヘディングしたボールは前に出たGKの松永選手をあざ笑うように、ユックリと放物線を描いて、日本ゴールのファーサイドに吸い込まれていきました。こうして、初出場の夢は断たれたのです。
サッカーとはそういうものだ、とコメントした専門家がいました。それを聞きながら「サッカーとはどんなものか」について、われわれ日本人はきちんと理解しているんだろうか? という疑問を持ちました。
「サッカーとはどんなものか」を理解しないで、「サッカーを好きになれ」というのは無理な話です。以前コラムで紹介した2006年のW杯ドイツ大会で、イタリア代表がオーストラリア代表と戦った際、どういう対応をしたのか、もう一度繰り返します。0-0で後半も半分過ぎたところで、イタリアのディフェンスが一発レッドカードで退場しました。その時、残った9人のフィールドプレーヤーはセンターサークルに集まり、自分たちでフォーメーションを変更し、選手交代で新しくディフェンスが入るまで0-0で耐えたのです。その間、だれひとりベンチの監督に指示を求めませんでした。ゲームは結局イタリアが勝ち、そのまま勝ち進んだイタリアは優勝しました。サッカーではこういうチームが勝つんです。
ベンチの指示を仰がないでフォーメーションを変えたチームに驚いたのは、現地で観戦していた日本サッカー協会の強化担当者たちだけでした。他の国の人たちは、別段気にもならなかったようです。なぜなら「サッカーとはそういうゲームだから」です。
取材・文/広瀬一郎 写真/Getty images 田川秀之