考える力
小学生の頃からチームへの要求が高かった 恩師が振り返る、中村憲剛が人として一気に成長した影にあったもの
公開:2019年4月 4日 更新:2019年4月15日
Jリーグ王者・川崎フロンターレの中心選手として、ピッチで輝きを放ち続ける中村憲剛選手。
多くの子ども達の憧れである彼は、ジュニアの頃はどのような選手だったのでしょうか? 中村憲剛選手が小学生時代に所属した、府ロクサッカークラブの代表を務める、高山清さんに話を聞きました。
(取材・文:鈴木智之)
後編:小さくても強いシュートは打てる! 中村憲剛が小さくても強くて速いシュートが打てたワケ >>
■少年時代から負けず嫌い
中村憲剛選手は東京都府中市にある、府ロクサッカークラブの出身です。私は代表を務めていますが、中村選手を直接指導したわけではありません。彼の学年は箕輪進(故人)というコーチが担当していました。
私が中村選手を最初に見た印象は「身体は小さいけど、小回りが利いてドリブルが上手く、左右両足でしっかりボールを蹴る子だな」というものでした。色が黒くて体は細く、性格はとても負けず嫌い。試合中にミスをするチームメイトに対して、厳しい言葉をかけることもありました。いまでも、当時の卒業生が集まると「昔のケンゴは厳しかった」という話題で盛り上がるそうです。
チームメイトに対する要求の高さも、彼の負けず嫌い精神が大きく影響していたように思います。試合に負けると悔しくて泣いたのは、一度や二度ではありません。でも、箕輪コーチが「ケンゴ、どうする。次の試合、出るか?」と聞くと、気持ちを切り替えてグラウンドに飛び出ていくような子でした。
中村選手の少年時代を語る上で、欠かすことのできない存在があります。それが、彼のお父さんです。私も彼のお父さんとは、よく話をしました。お父さんが偉かったのは、毎回、試合を見に来ていたこと。そして、サッカーのことに対してはあまり口を出さないけども、チームメイトに対する振る舞いなどで、目に余るところがあると諭すように話をしていたことです。
お父さんから聞いた話ですが、試合の夜はお風呂の中で、いろいろな話をしたそうです。サッカーのテクニカルなことはコーチに任せて、友達に対する言葉がけや試合に負けたときの態度などについて、相手の気持ちを理解することや、どんな言葉をかけることが必要なのかといったことを、何度も話をしたそうです。
■憲剛選手の振る舞いを変えた、先輩の「変化」
小学生時代の中村選手にとって影響が大きかったのではと思うのが、上の学年に入ってプレーをしたことです。小学5年生のときに、全日本少年サッカー大会の東京都予選で、6年生の試合に出ていました。中村選手の1つ上の学年は上手な子が多く、強いチームでした。身長136cmほどの子が、上の学年の上手な子の中に入ってやるのですから、うまくいかないことの方が多かったと思います。でも、その中で経験したこと、身につけたことはたくさんあったと思います。
というのも、彼の1学年上にとても上手な選手がいたんですね。小学校2年生でリフティングが1000回できるような子で、当時から子どもたちの憧れでした。彼は中学に入ると東京ヴェルディ(当時は読売クラブ)のジュニアユースに進んだのですが、私の長い指導経験の中でも、とびきりの才能を持った選手でした。あんなに上手い子は見たことがありません。
府ロクサッカークラブは街クラブでセレクションもないので、上手な子も下手な子もいます。その、天才的に上手だった彼も、小学5年生の頃はチームメイトがミスをすると、強い口調で指摘することがありました。でも、6年生になると考え方が変わっていったんです。彼がボールを持つと、相手選手が数人で囲んで奪おうとします。そこで、彼は味方にパスを出すのですが、「パスを受けた選手がすぐにボールを取られてしまうであろう」とイメージをして、すぐさまサポートに駆け寄るのです。味方のミスに文句を言っても始まらない。ミスをしそうならば、自分がサポートに行く。そうすることで味方を助けることができますし、リターンパスを受ければまたプレーできます。
「味方の失敗をフォローする側に回ればいいんだ」と思うようになったことで、味方選手に文句を言う回数がグッと減りました。その様子を、1学年下の中村選手も見ていたのではないかと思います。そして、中村選手のプレーも振る舞いも、徐々に変わってきたような印象を持っています。
■心の底から楽しかった経験があったから、辛くても頑張れた
いまでは怒られるかもしれませんが、中村選手が小学生の頃は、年間に250試合ほどしていました。遠征に行くと、1日に3試合、4試合はあたりまえ。帰りの車の中では疲れて熟睡といった様子でした。大会で優勝すると、箕輪コーチがラーメンをご馳走してくれたんですね。
府中第六小学校の近くにラーメン屋さんがあって、遠征から帰ってきて顔を出すと、子どもたちとコーチが一緒にラーメンを食べていたことが、何度かありました。私も「優勝して良かったねぇ」なんて言いながら、食べているところに加わったりして。サッカーの大会で優勝したあとに、ラーメンを食べさせてもらえる(ご馳走という目標)というのは、子どもにとっては励みにもなりますし、最高に嬉しいことですよね(笑)。それが、中学校に進んで壁にぶつかったときに、「あのときに体験した楽しかったことは、サッカーをしたから得られたものなんだな」と思ってもらえたのなら、コーチとしてこれほど嬉しいことはありません。
後編:小さくても強いシュートは打てる! 中村憲剛が小さくても強くて速いシュートが打てたワケ >>
高山清(たかやま・きよし)
府ロクSC、府ロクジュニアユース、府ロクレディースを運営する特定非営利活動法人ゼルコバ理事、公益財団法人日本サッカー協会 協議委員会 第4種大会部会 部会長、府ロクSC総監督。
1971年、府中六小に教職員で着任、3年後に府ロクスポーツ少年団サッカー部創設。小中学生を指導しながら、東京都サッカー協会少年連盟の運営に尽力。都大会で9回優勝。
クラブの主な卒団生は、中村憲剛(川崎フロンターレ)、澤穂希(元なでしこジャパン主将)、中里優(日テレ・ベレーザ)などがいる。