考える力
小さくても強いシュートは打てる! 中村憲剛が小さくても強くて速いシュートが打てたワケ
公開:2019年4月15日
プロキャリア17年。「永遠のサッカー小僧」でもある中村憲剛選手は、ジュニアの頃はどのような選手だったのでしょうか?
中村憲剛選手が小学生時代に所属した、府ロクサッカークラブの代表を務める、高山清さんに話を聞きました。後編では「保護者の理想的なサポート」のエピソードも飛び出します。
(取材・文:鈴木智之)
<<前編:小学生の頃からチームへの要求が高かった 恩師が振り返る、中村憲剛が人として一気に成長した影にあったもの
■シュートの強さは足を振るスピードじゃなくミートが重要
中村憲剛選手は小学6年生の冬に東京都選抜に選ばれ、さらにその上の、いまで言うナショナルトレセンのようなものに参加したことがありました。当時の彼はボール扱いが上手く、機敏に動くことができて、キックのミートも上手。足に吸い付くようなドリブルと、強いシュートが持ち味でした。
彼のプレーで、いまでも覚えていることがあります。小学6年生のときの、全日本少年サッカー大会・東京都予選の試合です。攻撃のパターンとして「ケンゴにボールを集めよう」ということになり、低くて速い、ライナー性のパスを中村選手に集めて、そこからゴールを目指したことがありました。練習でその形を繰り返し、いざ試合になって実行すると、中村選手は横から来た強いボールを足に吸い付くようなコントロールで触ると、スピードを落とさずにドリブルを開始。そして、左足で見事なゴールを決めたのです。「こんなプレーができるんだ!」と驚いた記憶があります。
小学生時代から、中村選手はボールをミートする技術が高い選手でした。身体は小さい(小6で136cm)けど、強くて速いシュートをバンバン打っていました。その様子を見て、「シュートはパワーや足を振るスピードではなく、ボールの中心を捉えるミートの技術が大切なんだ」と再確認し、他の子どもを指導する際にも「パワーではなく、ミートが大事なんだよ」と繰り返し、伝えました。
あるとき、ミートの技術を高めるために、こんな練習をしました。
小学生時代に彼を指導した箕輪進コーチ(故人)が、手にボールを持って選手の前に置きます。手のひらにボールを乗せた状態で、子どもたちがボレーの形で体を倒して蹴ります。最初は手のひらに持ったボールをバウンドさせて、上がってきたところを蹴るのですが、慣れてくると、手のひらに乗せたボールを直接蹴るようにしました。子どもたちは「コーチの手を蹴ってはいけない」と思うので、すごく集中してボールを蹴ります。中村選手もその練習をしたことがあると思います。
■子どもが挫折をしたとき、親はむやみに怒らないこと
スピードもテクニックもあった中村選手ですが、ナショナルトレセンに選ばれるのは、自分より体格の良い選手ばかりです。どれだけテクニックがあっても、競り合いでは体格差で負けることのほうが多かったように思います。府ロクサッカークラブで培ってきた自信が砕かれて、サッカーを辞めようかと思ったこともあったそうです。お父さんから「サッカーのことで、あれほど落ち込んでいたケンゴを見たのは始めてだった」と聞かされたことがあります。
大きな挫折を経験したとき、どのような行動に移すかで、その後の人生は変わっていきます。「自分には無理だ。プロサッカー選手になるのは諦めよう」と思うのか、「どうすれば解決できる? 相手に吹き飛ばされないようにプレーすればいいか」と考えるのか。中村選手は後者のタイプだったようです。「ドリブルなどのテクニックだけでは通用しないぞ」と、さらなるレベルアップを考える、大きなきっかけになったのではないかと思います。
子どもが試合で負けたり、壁にぶつかって挫折したときに、保護者としてすべきサポートは、子どもに対してむやみに怒らないこと。これが一番大事なのではないでしょうか。失敗を責めても、本人が一番よくわかっていますよね。「どうしてうまくいかなかったのかな?」と考えて、子ども自身から、こうじゃないか、ああじゃないかという思いが浮かんでくることが大切です。「一回ではうまくいかないかもしれないけど、意識して練習すると、次はうまくいくかもしれないよね?」という形でフォローアップしていく。保護者としては、子どもが「練習したい」と言ってきたら「じゃあ一緒にやろうか?」というスタンスで良いのではないでしょうか。
■子ども自身の中から湧き出るものがないと続かない
府ロクサッカークラブのある保護者は、子どもが「練習したい」というと、靴下を丸めて投げて、子どもがキックするということを毎晩やっていたそうです。靴下なら柔らかいので、家の中で蹴ることもできますし、キックのミートの感覚もつかめます。新聞紙でもいいんですけどね。
保護者がいくら「もっと練習しなさい」と言っても、子ども自身の中から湧き出るものがないと、長続きしません。保護者が過剰に手をかけるのではなく、少し引いたところから見て、アドバイスをしてあげてみてください。サッカー経験があったり、実体験の中からこうすればうまくいくという確信があると、子どもにそれを押し付けたくなるかもしれませんが、いつまでも保護者が助けてあげられるわけではありません。
近い将来、子どもは自立しなければいけない時が来ます。手助けをすると、その場ではできるようになるかもしれませんが、長い目で見ると、保護者に頼るようになってしまいます。子どもが自立できるようにサポートすることが、本当の意味で子どもを手助けすることだと思います。
<<前編:小学生の頃からチームへの要求が高かった 恩師が振り返る、中村憲剛が人として一気に成長した影にあったもの
高山清(たかやま・きよし)
府ロクSC、府ロクジュニアユース、府ロクレディースを運営する特定非営利活動法人ゼルコバ理事、公益財団法人日本サッカー協会 協議委員会 第4種大会部会 部会長、府ロクSC総監督。
1971年、府中六小に教職員で着任、3年後に府ロクスポーツ少年団サッカー部創設。小中学生を指導しながら、東京都サッカー協会少年連盟の運営に尽力。都大会で9回優勝。
クラブの主な卒団生は、中村憲剛(川崎フロンターレ)、澤穂希(元なでしこジャパン主将)、中里優(日テレ・ベレーザ)などがいる。