広い視野と確かな戦術眼、敵陣を裂くスルーパスは歳を重ねるごとに円熟味を増すばかり。中村憲剛、34歳。Jリーグ屈指の司令塔は、いかにして育ったのでしょうか。
「背も低いし、足も遅かった」
そう自らの少年時代を語る彼は、サッカーを観ること、自らのプレー映像を見ることを習慣にしていました。(取材・文 石井宏美 写真 平間喬)
■マラドーナのプレーに釘づけになった6歳のサッカーオタク
――中村選手がサッカーを見ることを始めたのは?
まだ小学校にあがる前なので6歳のころですね。1986年のワールドカップメキシコ大会です。イングランド戦でマラドーナが神の手ゴールと、その直後に5人をかわした末に得点を挙げたのが印象に残っています。その試合がどういう内容だったのか、詳細はあまりよく覚えていませんが、とにかくマラドーナがすごかったということは強烈に覚えています。その後、大会の総集編のビデオを購入したくらいですからね。相当印象に残っていたんだと思います。
ジュニアの頃にプレーしていた府ロクサッカークラブでビデオを撮影してくれる方がいたんですが、その映像が希望者に配られていて。4〜6年生の頃は、よくそのビデオを見ていた記憶がありますね。
――10歳のころから自分のプレーを見て振り返っていたということですか?
そうですね。とにかく自分のプレーが見たかったんです。単純に自分がどういうプレーをしているかを確認したかった。プレーしていると、 自分のプレーって、滅多に見ることができないじゃないですか。もちろん、当時はまだサッカーの本質を問うような見方はしていなかったけれど、見ることそのものが大好きでした。当時は日曜の昼に放送されていたキリンカップもよく見ていました。オフトさんが指揮を執ったころから、代表の試合もよく見るようになりました。テレビ放送、そして雑誌も含め、サッカーオタクだったので、ありとあらゆるものをよく見ていました。
■サッカーを観る習慣は早く身につけたほうがいい気がする
――当時、印象に残っていることは?
1993年10月26日のドーハの悲劇。当時は中学1年生でした。あの試合は今でもよく覚えています。試合が終わった瞬間に泣きましたね。ベンチ横で中山(雅史)さんが崩れ落ちると同時に、ぼくもテレビの前で崩れ落ちていました。あの喪失感は半端じゃありませんでしたね。
――その頃、好きな選手がいて、その選手の真似をしたり、研究したりすることはありましたか?
ぼくは右利きでしたが、マラドーナの左足のタッチをよく真似していましたね。全然身にはなっていなかったかもしれないけれど。
――ジュニア時代にサッカーをプレーすることはもちろんですが、ご自身の経験をふまえ、見ることの重要性を感じることはありますか?
ぼく自身は見れば見るほどいいと考えています。感じ方は人それぞれですが、ぼくは単純におもしろいですし、自分のプレーに活かせるヒントが隠れているので。だから、間違いなく見ないよりは見るほうがいいと思うんです。たとえば、自分のプレー映像を見た時に、ハッとするような自分の癖や自分がよくミスをするシチュエーションに気付くことができるかもしれない。漠然と見ていたとしても、何度も見るうちに、いろいろ気付くことはありますからね。あと、自分自身がどういう選手なのかを、客観的に見ることもすごく大切なこと。そこに年齢は関係ないとは思いますが、サッカーを見るのは、早ければ早いほどいいのかな、という気はしています。
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取材・文 石井宏美 写真 平間喬