朝練なし、居残り練習なし、ダメ出しコーチングなし、高額な活動費なし。蹴球3日でグングン伸びる。カルチョの国の少年たちと日本の育成現場は何が違うのかを紹介した「カルチョの休日 -イタリアのサッカー少年は蹴球3日でグングン伸びる-」の作者、宮崎隆司さんによる特別コラム。
子どもたちの可能性を伸ばすきっかけ、それはきっと最先端の育成理論の中だけではなく、何気なく見ている光景の中にちりばめられているもの。サッカーにおける「育成」とは何か。その本当の意味を見つけ出すヒントがちりばめられています。イタリア在住20年、これまで現場で見てきた、日本のように豊かな国で生きる子どもたちとの日常の違い、子どもたちのサッカーを取り巻く悲喜こもごもを感じてください。(テキスト構成・文:宮崎隆司)
■「僕もいつかきっとW杯に出場する」少年の決意
この少年に出会ったのは、今からおよそ6年ほど前。旧知の記者が「是非とも一度は見に行くべきだと思うよ」と助言してくれたおかげで、私は、フランチェスコ・メッソリという名の、当時15歳だった少年を間近で見る機会を得ることができました。
その子は、生まれながらにして右足を持っていません。しかし他の何よりもサッカーが好きだという彼は、まだ7歳だった当時、フィールドに立つと決意。とはいえ、義足をつけてボールを蹴るのはやはり難しく、1年後には松葉杖を使ってサッカー場へ通うようになります。
そして12歳になると、その「アンプティ・サッカー」をロシアやトルコ、あるいはウズベキスタン、そして日本といった国々が牽引していることを詳しく知り、そうした代表選手たちのプレーに魅せられ、他にも少なくはない国がアンプティ・サッカーの協会を持っているからこそワールドカップ(W杯)が存在することも知り、彼はこう決意を新たにするのです。
「この僕もいつかきっとW杯に出場するんだ!」
こうして、13歳になった2011年。彼はまずFacebookで呼びかけることから始め、少しずつ仲間が増えて行くと、地元(コッレージョ=エミリア・ロマーニャ州)でチームを結成し、数は少なかったとはいえイタリアの国内にも既に存在していたチームと試合を行うようになり、徐々に、しかし確実にその輪を広げていきました。
そして、翌2012年。遂にアンプティ・サッカーの「イタリア代表」が結成されます。創設者は、他ならぬこのフランチェスコ・メッソリくんです。
■「メッシは僕と同じ左利き」
同年、初めてイタリア代表の青いユニフォームに袖を通し、フランス代表との試合前に国歌を歌ったときの感動を、彼はこう言葉にしています。
「これが夢ではありませんように......。って、そうずっと祈っていたように思います。だけど本当に夢の中にいるような心持ちだったから正確には覚えてなくて......(笑)」
そして彼は、まだ12歳だった当時に地元テレビ局の取材を受けた際、そのインタビュアーと次のような会話を交わしています。
記者「君のアイドルは誰?」
フランチェスコ『メッシ』
記者「どうして?」
フランチェスコ『だって世界一の選手だから。それに、〝メッシは僕と同じ左利き〟だから!』
(インタビュー映像:ability channel)
彼はアンプティ・サッカーの枠に留まらず、代表結成の年には健常者チームとの試合にも臨み、勝利を決めるゴールを決めてみせています。
こうしたフランチェスコの勇気と決意、常に前向きな姿勢は、多くの障がい者とその家族にとってこれ以上ない励みとなっているのはもちろん、と同時に、障がいを持たぬサッカー少年たちの心にも絶大な影響を及ぼしています。フランチェスコの左足に魅了されるだけでなく、何より、この若者がサッカーと向き合う真っ直ぐな姿勢に誰もが心を震わせるのです。
■ついに迎えた夢の舞台
迎えた2014年11月30日。その2日前に16歳になったばかりのフランチェスコは、遂に「ワールドカップ」の舞台に立ちます。
イタリア代表はグループリーグを首位で通過するも、決勝トーナメント1回戦でPK戦の末、ハイチに敗れるのですが、もちろん彼の挑戦は続きます。
2016年、18歳になったフランチェスコはイタリア代表の主将、背番号は「10」。その年の9月にはアンプティ・サッカー欧州選手権に出場し、開催国ポーランドと世界王者ロシアには敗れたものの、それまでの4年間で一度も勝てなかったフランスに初めて勝利し、大会5位。3−0で勝った対フランスでフランチェスコは2ゴールを決めてみせています。
優しいお父さんに見守られながら、自らもサッカー選手だったという母親に支えられながら、大切な仲間たちと一緒にボールを懸命に追う彼は、2016年に開催されるはずだったW杯中止の報に肩を落としながら、でもすぐに前を向き、2018年のW杯出場を目指して努力を重ねます。そして、その18年W杯、大会覇者となるアンゴラに敗れるも、主将としてフランチェスコは持ちうる力のすべてを出し尽くしていました。
■片足だからって、どうしてダメなんだ? 少年に勇気を与えた監督の言葉
そして今日も、「利き足」の華麗な技を駆使しながら、どこまでもひたむきにボールを追いかけている。
15歳当時、フランチェスコはこうも語っています。
「僕が松葉杖を使ってボールを蹴ると決めた時、こんな僕でもサッカーさせてもらえますか? って(地元)チームの監督さんに尋ねると、その監督レンツォ・ベルニャーニさんは『もちろん!』と即答してくれて。むしろ逆に『どうしてダメなんだ?』って笑顔で。この監督さんがいてくれたからこそ、今こうして僕はピッチに立つことができているんです」
あの2012年、アンプティ・サッカーのイタリア代表が結成された際、初代代表監督となったのは他でもない、このレンツォ・ベルニャーニさん。少年の決意は、ベテラン監督の人生をも大きく変えることになったのです。
そして、今日も代表監督を務めるベルニャーニさんはこう言います。
「健常者よりも障がい者の彼らを指導することに私はより大きな情熱を感じる」
この監督の言葉には、限りなく大きな、そして極めて重要な意味が込められていると言えるのでしょう。
フランチェスコの首筋に彫られたフレーズは___It's only one leg less
(インタビュー映像:BLEND MEDIA)
誰もがいつでもサッカーを楽しめる環境をもとめ日本でも様々な活動をしている方々がいますが、このフランチェスコ選手のエピソードは勇気づけられるものではないでしょうか。