ツイッターで、あるサッカー少年団の元コーチと選手のエピソードが話題になっています。ツイッターをされない方にもぜひ読んでいただきたく、原文そのままでご紹介します。とても考えさせられるお話です。スポーツで子どもを育てることの原点を再認識させていただきました。
勝利と育成のバランスには、指導者、保護者の多くの方が悩まれることだと思います。「これだ」という答えはないのかもしれません。常に議論が必要なことです。しかし、育成年代における指導の原点は「全ては子どもの成長のために力を注ぐ」、この事は変わらないはずです。
この元コーチの方は、一つの信念を元に育成に取り組まれていました。ぜひ、保護者の方、スポーツを通した子どもの育成に関わる多くの方に読んでいただきたいです。
■テツヲ(@shiratetsu18)さんのつぶやきより
※以下は原文そのままを転載しています。スポーツ少年団のサッカーコーチをしてた時期がある。自宅近くの小学校のグラウンドで自分と同じ世代の人たちが毎週ゲームをしているのが羨ましくて覗きに行くと、一緒にやりませんか?と声を掛けてくれたのだけど、その優しさは不足している少年団のコーチを探していたからだったと後から聞かされた。審判免許を持ってることもあり、熱心に誘われ、渋々ながら新学期から受け持ったのは3年生だった。クラブチームとは違い、心身の成長や仲間意識、団体行動などを身につける場として、何よりもサッカーを好きになってくれることを目的とした団の方針が気に入ったから承諾したので、その通りに実践した。何人かの体格にも技術にも優れた子供たちがいて、地域のリーグでも優勝を狙えるのではないか?というだけのレベルのチームだったのだけれど、得点者はいつも特定の子どもたちで、その母親らは鼻高々でいて、体の小さな子や加入したばかりでボール捌きもままならない子どもの親は、肩身が狭そうだった。中心選手の母親たちから団長にクレームが入った事もある。「あのコーチはいつも試合の先発メンバーをじゃんけんで決めているが、本気で勝つ気があるのか。子供たちは勝つことが励みになり、サッカーを続けていこうという気持ちを強くするものなのだ」と。判らなくもないが、公平な出場は譲らなかった。ある時、転校生の男の子が入団してきた。ケンシロウという小さな小さなその子は、母親曰く「あの子は父親がおらず運動も苦手なのだけど、ここの学校のサッカーはみんな笑ってて楽しそうだからボクもやってみたいと言ったので…」とのことだったが、何日かは見送る母親から離れるのを拒んだりしていた。ケンシロウは他のメンバーとの3年間の技術の差に加え発育も遅めの体であることもあり、まともにプレーする事は難しく試合に出させても端っこでしゃがんでいたりして、他のメンバーから謗られたり小突かれたりしていた。僕は出来るだけ遠くから見て本人のやる気や仲間同士の叱咤からの奮起を期待した。ケンシロウは練習の前に後に、僕にまとわりついた。ボールをわざとぶつけてみたり、砂をかけてきたり、学年からしても幼すぎるその表現は、僕に父親像を重ねあわせているのかな…などとも思った。が、僕はその辺りドライな人間なのか、ケンシロウにもいけない事は叱り、だらしない格好は正させていた。一度ばかり、年度の終わり近くになってケンシロウを厳しく叱りつけた事がある。彼にはまだ小学校にも上がらない妹がいたのだけれど、彼が無抵抗な妹の顔に向かってボールを投げつけて泣かしたのを帰りがけに見てしまった時だ。妹と一緒に迎えにきていた母親に断り彼を引っ張って行って校庭に座らせた。「お前は妹をなんだと思ってる。ただお前よりも弱いというだけでそんな事をするのか。お前は一家の中でただ一人の男ではないのか。本当なら、お前が妹を護ってやりお母さんを助けるべきではないのか。お前はチームに弱っちい子がいたら同じ事をそいつにもするというのか。そんな奴はサッカーもやめろ」ケンシロウは泣いていた。もとよりいつも泣いてる子なので、何かが通じての涙なのかどうかも判然としない。母親は僕の事を信頼していてくれてた様子で、引渡してなお号泣するケンシロウの手を引いて、僕に小さく頭を下げて帰って行った。その後、彼は僕へのまとわりつきをやめ、少しだけ距離ができた。年度の終わりにリーグの優勝のかかった試合が行われることになり、順調だった我がチームは勝てば優勝という好機を迎えていた。緊張感に満ちた父兄らが背後で見つめる中、僕がいつものように「はい、先発じゃんけんするよー!最初はグー!」と言った時に背後から「え…」というようなざわめきが漏れた。怖かったので振り返らなかったが、お母さん方が「こんな大事な試合なのに…」と歯噛みしているのは容易に想像できた。悠然とじゃんけんをする僕、ベンチを温めることになった点取り屋、出場を喜ぶいつもは冴えない子たち。GKはいつも志願制にしていた。退屈だし怖いし責められるポジションだからだ。いつもGKを志願してくれる頼りになる子が風邪で休んでいたその日、一応皆に向かって聞いてみた。「はい、GKやりたいひとー?」周りを見渡す子ら。しばしの沈黙のあと、ケンシロウが手を挙げた。GKなどした事もなく、何よりもあのケンシロウのチンタラぶりを知るだけにまたもザワっとする父兄達。ケンシロウの母親を探して見ると「滅相もない…」と申し訳なさそうに首を振っていた。「他にいないのならケンシロウで行くぞー!」と僕が言うと、お母さんは泣きそうになっていた。僕も怖かったし、どうしても優勝したかった。しかし、あいつが初めて見せた自発的な姿に腹をくくった。これがスポ少だ!GKユニフォームに着替えさせると、袖が手を隠し、グローブもブカブカでつい笑ってしまってからはもうどうにでもなれと思った。急いでゴールキックをスキルフルな子と交互に蹴るように指示し、その他のルールも教えたが彼は解っていなかったろうと思う。試合が始まるとベンチの子らも危機感を訴えた。「コーチ、あいつがGKとか自殺行為だし!」「じゃあ後半おまえやるか?」「やだよぅ」「GKはな、俺はやりたいっていう子にやらせたいんだよ」「だけどさー」なんて事を言ってると、拮抗していたゲームが動いた。我がチームが得点したのだ。優勝がちらつき色めきたつ父兄達。事実、僕にも欲が出た。後半はGKを替えようかとも思った。本人に聞いてみると「まだやりたい」というので、父兄らの怪訝そうな顔をよそにケンシロウにゴールの番を託した。後半は劣勢。相手チームには俊足のストライカーがいて、うちの守備陣は辛うじて彼を食い止めていたけれど、時間とともにその守備も綻びはじめていた。守備陣が抜かれてケンシロウとの1対1になると容易に得点されるのは目に見えていた。この劣勢ぶりからして、同点を奪われるとその後なし崩しに失点を重ねてしまいそうなことも。試合終了まであと5分を切ったころ、一瞬の守備の乱れが出た。クリアボールを拾われ、俊足に抜け出されてしまった。嗚呼。ゴール前を見ると頼りなく突っ立ってるケンシロウ。ゴールの枠がやけにデカく、スカスカに開いてるように見えた。「ケンシロウっ!前に出ろっ!」と叫んだ。シュート体勢に入る俊足。僕の声にヨロヨロと前に出るケンシロウ。嗚呼…やられるかなと思った。父兄らの悲鳴。俊足が放った渾身のシュートは…こともあろうに、立ちはだかったケンシロウの顔面を直撃して大きく逸れた。うずくまるケンシロウ。父兄の歓声と安堵と心配と。プレーが中断されて駆け寄ると、ケンシロウは痛い痛いと号泣している。鼻血も出ていたか。大事でないことを確認し、彼を下げて看護してもらい、他の子に交代させて残り2分。その後の時間をチームが耐え抜き、試合終了の笛が鳴って皆がコートで抱き合ってる間も、ケンシロウは母親に看られながら泣いていた。辛辣だった父兄らも、穏やかな目で彼を見、涙顔の彼の背中を撫でたりしていた。表彰式も終わり記念撮影などをした頃にはケンシロウにも笑顔。その後にいつもの反省会。「今日の試合で良かった事を言ってごらん?」と問うと、「皆で団結した」「力を合わせた」「苦しかったけど守りぬいた」などと子らが言う。唯一の、しかも決勝点となった得点を挙げた子はいつもケンシロウに辛く当たっていた子だったが「コーチ!」と立ち「ケンシロウが体を張ったからだよ」と言った。いつものように後ろの方で座っていたケンシロウを皆が振り返り「あれすごかった!」「顔面セーブ!」「鼻血ブー!」などと皆で称えちゃかした。ケンシロウは…また泣いた。笑い顔で泣いた。母親も泣いていた。僕も涙が出た。みんなで泣いた。大学生になったケンシロウは今もサッカーをやっていると聞く。今なお少年団を率いる御大コーチのもとを訪れては、少年らと一緒にボールを追いかけて遊んでくれているようだ。あの日、GKをやりたいというケンシロウを一笑に付すことなく使って良かった。僕の人生のうちの数少ない好選択だと思うのだ。体躯の成長速度や性格にもばらつきのある小学生時分のスポーツというのは、目的を間違えると危ういと思っている。叱られてばかりの子には、イヤな思い出しか残らない。ヤワだと言われようが、僕は子供たち個々の成長に目を向けるべきだと思っている。
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サカイク編集部